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闘うことだけをこよなく愛していた、親父(人間凶器)が死んだ日

2008/03/08 05:01
先月16日の深夜、居間で家内が雑誌を読んでいると、なぜか急に、2重になっている蛍光灯の小さい方の球が、数度の点滅を繰り返した後に、切れてしまった。

しばらくして、就寝するためにベッドに入った家内を、いささかに驚かせるほどの激しい震動音が、台所といわず、風呂場といわず、その周辺で鳴り響いた。

気になるから、私に見てきてほしいと頼む家内には逆らえず、台所を調べたのちに玄関口から外へ出て、近所の様子も慎重に確認するが、どの家も電気が消えており、静寂が音となって聞こえてくるほどに、しんと静まり返っていた。

翌17日の夜に、母から、親父が亡くなったとのメールが届き、部屋の片づけを手伝って欲しいとの文面で終わっていた。

事情を確認するため母に電話をするが、その死亡の経緯を聞いて呆れ返った。

数週間前から具合の悪かった親父は、なんとか病院へ入れようとした母の意見など全くに聞き入れず、どうしても、その部屋で死にたいと強く言い張っていたとのこと。

そして、ここ数日の間は、具合の悪い親父を家に残し、母は私の妹と連れだって親戚の家へ行き、引っ越し後の片づけを手伝い、その家に寝泊まりしていた由。

そうこうしていた母が、17日の夜に家へ戻って親父の部屋を覗いたところで異変に気付いたそうだ。

医者にも診せずに亡くなった為、警察に連絡しなければならないが、警官から叱責されることを疎んだ母が、私にも立ち会って欲しいと懇願してきた。

仕様がなしに家内にその旨を伝えて、翌18日の朝に、彼女と二人して実家に向かった。




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まず実家に着いて驚いたのは、家中がゴミ屋敷と化していたことだった。

玄関口は言うに及ばず、台所から、母の部屋、妹の部屋、父の部屋までが、足の踏み場も無かった。

このままでは現場検証に来た警官が部屋に入ることも出来ず、親父の遺体を運び出すことも出来ないことは目に見えていた。

死亡原因が不鮮明の場合、現場に手を加えてはいけないことと分かっていながらも、ドアから親父の部屋までの通路を確保するための掃除をしている間に、家内は警察の相談窓口に電話を架けた。

受話器越しに警察と話をしながら、徐に私の方を見た家内が、親父の生死を確認するために、遺体に触って調べるようにとの、警察からの要請を伝えてきた。

気持ち悪いから触りたくないと言う母を横目に、親父の手首の辺りを掴んで確認した私は、その状態を家内に伝え、それを聞いた家内は受話器に向かって、その仔細を伝えた。

電話の案内では、本人が亡くなっている場合でも、一応は救急車を呼ぶのが通例だとのことで、無駄とも思われたが、警察の言うことだからと、しかたなしに119番に連絡をして救急隊員に来てもらった。

しかし、死後、相当に時間が経っており、死臭も漂っているとのことで、連絡後10分ほどで到着した救急隊員は、直ぐに帰ってしまった。

それから30分ほどして、険しい形相をした警官たちが5・6人でやってきて、現場検証を始めた。

なぜ医者にも診せず、病院へも連れて行かずに、こんなことになったのかと、しつこく母を攻め立てる警官に向かって、親父がどれほどに短気で、家族のいうことに逆らうのかを理解してもらうつもりで、小学生の私や母に振るった、親父の暴力沙汰の2・3例をあげたところが、その警官は、妙な緊張感を含んだ眼差しで、私と母を交互に睨んだ。

あまりに不用意に、警官から変な猜疑心を持たれるような発言をする私を窘めるかのように、そこから先は、母から諸事情を確認していた家内が、警官への説明を始めた。

いつもながら、こういう時の家内は実に頼りになる。

1時間ほどで警官たちも引き揚げ、親父の遺体も司法解剖のために葬儀社が金沢区の病院へ運び去ったあと、私、家内、妹、母の四人で、近所の寿司屋へ行き、そこで、葬儀はどう行うかと話し合ったが、結論が出ず、翌日に葬儀社へ出向いて決めることとして、私たちも、いったんは自分たちの家に引き揚げることにした。

その日の内に届いた司法解剖の結果は、死因は心筋梗塞、そして、死亡推定日時は、16日深夜から17日の早朝にかけてとのことだった。







・日本国自衛隊 「貴方を守りたい」 JSDF video clip - Sarah Brightman version

・Misora Hibari - Yawara 柔

・無法松の一生(muhoumatu no issyou)

・Sukiyaki 上を向いて歩こう Kyu Sakamoto 坂本九








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パンズ・ラビリンス、或いは、解離性障害

2007/10/24 03:09
情けないまでに、いきなりの号泣をしてしまった。

とめどなく溢れ出る涙をどうすることも出来ずに、思わず漏れそうになる嗚咽だけは、周囲に聞かれてなるものかと、ひたすらに堪えていた。

私のお気に入りブログの一つ、『水曜日のシネマ日記』の見出し、度肝を抜かれた! の一言に惹かれて、無理やりに妻をさそい、川崎のチネチッタに久々の映画観賞へと足を運んだ。




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時代と舞台背景は、1944年の内戦終結後のスペインの山奥にある、フランコ軍の駐屯地。

主人公は、レジスタンス・ゲリラ制圧の為、この地の指揮を任命された残虐で冷酷な将軍、ビダルと再婚して身重となった母、カルメンと共に、この危険な駐屯地に連れてこられた、おとぎ話が大好きな少女、オフェリア。

何冊もの本を抱えて車を降りたオフェリアが、出迎えた義父、ビダル将軍を眼前にした時の、怯えきった表情が、この先の彼女の運命を象徴していた。

現実のつらさが、彼女を非現実な空想の世界へと誘う。

オフェリアは壊れてしまいそうな自分の心を守りたかった。臨月に苦しむ母を救いたかった。そして、母のお腹にいる弟を助けたかった。

昆虫を妖精と想い、遺跡を迷宮として、現実には決して存在するはずのない牧神(パン)を救世主として、次の満月の夜を迎えるまでに、厳しい三つの試練に立ち向かう。




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過酷な現実から逃れられるならと、おぞましいまでに不気味な第一の試練の場所へ出向くオフェリア。




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恐怖に打ち勝ち、強い克己心を確立させるべく第二の試練を向かえる。




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そして、残酷なまでに凄惨な現実が交錯する、最期の試練。




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メキシコ・スペイン・アメリカの三カ国合作によるこの映画、『パンズ・ラビリンス(牧神の迷宮)』は、米アカデミー賞の美術賞・撮影賞・メイクアップ賞の三賞に輝いた作品であるが、もしも私が審査員ならば、脚本賞も取らせてあげたい位に秀逸な作品である。

いつもなら、上映が終わると直ぐに席を立とうとする私を、家内が引き止めるのが常であるが、今回は、双眸から溢れ出る涙を他人に見られたくないという思いと、この秀作の余韻をいつまでも味わっていたいという感情から、早く帰ろうという彼女を制して、場内が明るくなるまで、席から立ち上がらずにいた。

おそらく、その時にこの映画を観賞していた人たちの中で、私一人だけであったろう、このブログでも『コンフリクト(葛藤)』という表題で紹介し説明した、解離性障害を患った子供たちの姿を、オフェリアの内面に投影して見ていたのは。

どんなに悲しくても、つらくても、怖ろしくても、その場所から決して逃げることの出来ない現実に直面した子供たちが、無意識下で自分で自分に催眠をかけて、心の逃避をはかることでしか自分を守ることが出来ない憐れさを、そして、無情の思いを烈しく痛感させられていた。

朝青龍は解離性障害だ、とほざいたバカ医者に、この映画を見せてやりたい。

平然と我が子を虐待し続ける愚かな親たちにも、このオフェリアの哀しさを理解させてやりたい。

日本中の多くの人が、この映画を見ることで、子供の心の危うさや、脆さを、一般的な知識としてでは無く、より本質的な感情として認識するようになればとひたすらに願ってやまない。

最後に、私の卒論の第一章第三節で簡潔に著わした、解離性障害の各症状を掲示して終わりにしたいと思います。



             ≪解離性障害(dissociative disorders)≫

ピエール・ジャネが精力的に説いた解離(dissociation)という概念が、ベトナム戦争の後遺症や性的虐待の多発を背景に1970年代に入ってからアメリカの精神医学会で再び脚光を浴びたもの。

心的外傷によって人間の精神の統合が失われる状態。

自我を性格づける単一性、同一性、能動性、限界性が崩れてしまう。

その変化の仕方は多くの場合、非常に素早く、きっかけも本人が気づかない事が多く、ある時点から自分の感じ方、知覚、感情などの体験の仕方が変わったりする。

長期間にわたる、強力で威圧的な説得を受けていた人に起こりやすい。

〔例〕洗脳、思想改造、人質に対する犯人の教化、または、強圧的な親による精神的・肉体的に苦痛の伴った感化。

一度でも解離状態になった人は何年経っても、その原因を引きずりやすく、何度でも解離性障害を起こしやすい。

幼女殺しの宮崎勤や、神戸の酒鬼薔薇少年がこの解離性障害であったといわれている。


@)解離性健忘(dissociative amnesia)

ふつうは心的外傷、またはストレスの強い性質を持つものの、想起が不可能となるような記憶の喪失。

非常に広範囲にわたる為、通常の物忘れでは説明が出来ないような事例。

例えば、目の前にある物がまったく見えないとか、自分のしたことを完全に忘れてしまうなど。

純粋な解離性健忘はエピソード記憶の機能だけが阻害されるので、普段の生活に支障を来たすことは、ほとんどない。


A)解離性遁走(dissociative fugue)

つらい事件をきっかけとして、ある日突然に家庭、または普段の職場から逃げ出して放浪する行為。

個人の同一性について混乱しているか、もしくは、新しい同一性を装う。

遁走中の記憶は喪失しており、想起することが全くできなくなるか、あるいは、思い出したとしても、霧がかかっているようにぼんやりしている。


B)解離性同一性障害(dissociative identity disorder)

二つ以上の、はっきりした人格が存在して、それらが繰り返し患者の行動を統制する。

重要な個人的情報の想起が出来ない状態で、ふつうの物忘れとは言えないほどに強い。

別名、多重人格性障害。


C)離人症性障害(depersonalization disorder)

本来の自分が失われて、現実感がすべて喪失する状態。

自分の精神が身体から遊離して、あたかも自分が第三者的な傍観者であるかのように感じる、持続的、または反復的な体験。


・参考文献:フランシス・アレン編(訳、高橋三郎他)『DSM−IV・精神疾患の分類と診断の手引き』医学書院 他




パンズ・ラビリンス・オフィシャルサイト

YouTube - Pan's Labyrinth End of All Hope

YouTube - Pan's Labyrinth full length trailer

YouTube - Pan's labyrinth lullaby






パンズ・ラビリンス
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『幻夜』

2007/04/30 00:49
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一年以上前から、読みたい読みたいと思っていた、東野圭吾の『幻夜』を漸くに読み終えることが出来た。

TVでも放映した長編ピカレスクロマン『白夜行』の続編的作品であることは、放映当時に様々なサイトで見聞きしていたせいもあり、作品のプロットもある程度は予測のつく内容ではないかと侮っている意識もどこかしらにあった。

ところがどっこい、あにはからんや、予想していたものとは全くに異なる展開に、唖然とさせられ、興奮させられ、寝不足にまでさせられてしまった。

とにかく、この作品がどれほどに面白いものであったかは、半年以上も放置してあった、このブログに、いきなり筆を走らせずにはいられなかったことでも、十分に理解して頂けることと思う。

阪神大震災から始まる、様々な大事件小事件が、全て一つの糸によって紡がれていたことに関しては、前作の内容から若干の想像はついていたが、だからといって、それぞれの事件がどこでどう繋がっているのかは、なかなか掴めずにいた。

初めのうちはゆっくりと楽しみながら読み進めていたのだが、物語が佳境へと入った時には、もっと先を知りたい、もっと先を知りたいと、翌日に仕事がある事も忘れ、早暁までかけて一気に完読した後、暫くのあいだ放心状態に陥っていた。

次に感じたことは、早く続編が読みたいと激しく願う気持ちと、もう一度、TVドラマ『白夜行』を観たいと強く思う気持ちに揺り動かされていた。

TVドラマの方は、このあと三日間を掛けて全十一話となるドラマの、一つ一つの台詞が自分自身の中で納得できるまで確認しながら、ディテールに至る詳細な部分を観賞することで堪能することができた。

桐原亮司役の山田孝之(幼少時代:泉澤祐希)、唐沢雪穂役の綾瀬はるか(幼少時代:福田麻由子)、この四人が四人とも、実にいい味を出した演技をしている。

中でも私が秀逸の名演技だと感じたのは、雪穂の幼少時代を演じている福田麻由子ちゃん。この小学生の女の子が、亮司の罪を自分が被ろうと決めた時に放つ『殺ったのは、あたしだよ』と言う名台詞。この強烈な言葉は、未だに私の耳の中、意識の中で何度と無くリフレインを重ねている。

残るは続編だが、この本の解説執筆者が東野圭吾に確認したところ、概容は出来ているがシチュエーションがまだ決まらないとの事。

実際の出版が、いつになるかは判らないが、続編は文庫になるまでなど到底待ちきれずに、単行本を購入させられそうな気がする。

なにしろ、東野作品の中毒に成りかかっているようで、東野圭吾が息抜きで書いたとしか思えないような、何とも下らなそうな内容の作品の文庫本を碌すっぽ中身も確認せずに、まとめて二冊も購入してしまったのだから。



幻夜
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徒労って、こうゆうこと?

2006/06/08 03:40
5月28日は、1ヶ月前に申込みを済ませたIT資格の試験日だった。

前日は早めに床へ就き、充分過ぎるほどの睡眠を摂り、快適な目覚めを迎える。

ゆっくりとコーヒーを飲みながら、出発の準備をする。

前回、同じ試験に落ちてから、一月と半分。

今度こそはと気合も充分に試験会場へ向かった。

電車の中ではテキストを広げて知識の再確認をする。

集合時刻の15分前に会場へ着き、受付に申込確認書と身分証明書を渡す。

係員の女性が、申込者名簿を何度か確認した後に、私に向かって申し訳なさそうに問い掛ける。

「お名前が見当たらないんですが? 」

間違い無くWeb上から、その日の、その時間帯での、受験申込手続きを執った旨を伝える。

確認書を暫らく見つめていた係員が、ようやくに一つの事実を発見して声を発した。

「試験会場が違います! 」

そんな馬鹿なと思いながら申込確認書を見直した。

試験会場は、渋谷駅東口の○○ビルとなっていた。

私がネット上から申込んだのは、間違いなく横浜駅東口にある△△ビルの筈だ。

なんでそれが渋谷駅東口になっているのだ。

私の頭の中で、思いっきり何かが炸裂した。




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係員の女性は、大至急に、その会場へ連絡するようにと、私に助言をする。

携帯を片手にビルを飛び出して、確認書に記載されている○○ビルの電話番号に架け続けるが、その日が日曜日の為か、誰も電話口に出てはくれなかった。

集合時間はとうに過ぎており、今から渋谷の試験会場へ向かったところで、とても試験を受けさせて貰える訳が無いとの判断から、そのまま真直ぐに帰宅することにした。
 
余りの帰宅時間の早さに驚く家内に、ことの詳細を伝える。

家内の口から出放題に出た言葉の数々は、予想に反せず、いつもながらの嫌味の洪水であった。

一矢報わんとばかりに、家内にも確認書を見せた旨を伝えて、何故その時に気付いて呉れなかったのかと虚しい八つ当たり攻撃をかけるも、より勢いを増してマシンガンのように烈しい連射となった、家内の鋭い嫌味攻撃の前に撃沈させられる。



教訓、念には念を入れよ。

も一つ教訓、石橋を叩いて渡る。

さらに教訓、深い河は浅く渡れ、浅い河は深く渡れ。







なるほどなぁ〜。。。










パソコン資格でスペシャリストになる!
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アミューズグレ

2006/05/17 05:18
有休が随分とたまって来たので、今月と来月に分けて、思いっきり使うことにした。 

IT関連の試験に向けての猛勉強をしようと思って休みを取ったつもりが、なかなか思い通りには行かず、家の中でゴロゴロしているだけの休日。

何気なしにビデオケースから1本のビデオを取出し、それをデッキの中に差込んでスイッチを入れる。

場面は、閑散として寂れたレストランのテーブルで向い合う、松本幸四郎と筒井道隆のシーンで始まる。言わずと知れたドラマ『王様のレストラン』のオープニング。

懐かしさを伴って、全11話を一気に観終わり、以前から何度と無くそうしてきた様に、やっぱり、このシチュエーション・ドラマは完璧だな、と思う。

それと同時に、彼が亡くなってから、もう何年経つのかなと、そのドラマに脇役として出演している俳優への想いに耽る。

彼が別世界へと旅立ったあの日のことは、昨日の事のように、私の思い出の中に存在している。

その悲しみと、切なさと、狂おしさに、恥ずかしさを忘れて、生まれて初めてBBSに書込みをした。

一行書いては涙を流し、二行書いては嗚咽を漏らし、三行目を過ぎた頃からは、それこそ、号泣しそうになる愛惜の感情を、何度も何度も苦しいまでに堪えながらの必死の入力であった。

何故、赤の他人であって三流の俳優である彼の死が、この私にとって、あんなにもつらく悲しいものであったのか、当時も今も全くに良く分かってはいないが、日本中の、決して少なく無い数の人たちも、私と同じ感情になっていたことは確かである。

なぜならば、その日から彼の死を惜しむ追悼サイトが、私がBBSに書込みをしたものを含めて、いくつもいくつも創られ、また、その内のいくつかのサイトは、未だに現存していることがそれを証明している。

以下、その時の書込み





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まさか和田クンが!! 投稿者:ジュソンジュ 投稿日:5月30日(木)08時20分08秒 074239.ap.plala.or.jp


王様のレストランを見て、そのあまりの面白さにTV放映だけ

ではもの足らず、全11話をレンタルビデオ店で借り、それ

を、1本のビデオテープにダビングした日、あれはいったい、

いつの事だったろう。     

天才歌舞伎役者である主演の松本幸四郎の名演技は言うに

及ばず、それを取り囲んでいる脇役陣たちが実に個性豊か

で、まるで熟達した職人技をも髣髴とさせるような台詞の言い

回し。というよりも言葉のピンポンといった方がしっくり来る感

じの会話運び。
 
これがいい、本当にいい、何度観てもいい。
 
そう思いながら、もう何十回となく飽きもせずに繰り返し繰り

返し観ている。

また、それまで一度もしたことが無いのに、自分独りの満足だ

けでは足らずに多くの友人や知人にも紹介をし、このテープ

を貸したり、ダビングして贈ったりもした。

それらの所為かテープは相当に傷んでしまった。

数日前に携帯のネットでニュース速報を見ていたら、俳優の

伊藤俊人さんが、くも膜下出血の為に亡くなったとの記事が

目に入った。

はて、誰だろうと気になって、家に着くなりパソコンのネットで

調べて驚愕する。

何人もの人たちに、さんざん勧めてきた私の大好きなTVドラ

マ、王様のレストランの中で、身軽で、調子が良くて、口が

上手くてどこか憎めない役柄、コミの和田一(はじめ)。

まさか、嘘だろ、冗談だろと思いたい自分が呆然としてパソコ

ンの画面を凝視していた。 このドラマの最終話はあまりにも

不自然な終わり方をしているから、近い将来に必ず続編が

作られるものと、自分勝手な解釈をして期待していたのに、

その期待は、もう、脆くも崩れ去ってしまった。

不覚にも、こんな事が起こらなければ、私は恐らく気付かな

かったであろう、彼以外にあの役をこなせる俳優がいないこ

とを。否、脚本家の三谷幸喜は、大学以来のベル・エキップ

である、伊藤俊人という俳優がいたからこそ、この和田 一と

いうキャラクターをイメージして創り上げたのかも知れない。

名優、松本幸四郎をメインディッシュとしたならば、伊藤俊人

の存在は何にあたるのだろうか。

アペリティフ、ワイン、前菜、アントレ、スープ、サラダ、それと

も料理に華を添える温野菜やパスタの類になるのか。

何れにしたとしても、このフルコースには絶対に無くてはなら

ないものなのだ。

彼が居なければ、この、後世にも伝えるべき傑作ドラマ、王様

のレストランは完成されなかったのだ。

つまりは続編を作ったとしても、それは、伊藤俊人が演じる機

敏で感情豊かなコミ、和田 一という重要な素材が欠けている

未完成で味気の無い、出来そこないの料理でしかないのだ。

葬儀の模様を、幾度となくワイドショーで流すのを見るたび

に、思わず涙ぐんでしまう自分がいる。

親戚でもなく親しい友人でもない一人の俳優の死が、何故こ

んなにも悲しいのか。 

数え切れない位の芸能人や有名人の葬儀をTV中継で見た

り、あるいは斎場に出向いて焼香したりもしてきたが、こんな

にも辛く切なく感じたことは今までにただの一度も無かった。

これはどうしてなのか、彼の存在は私にとって、いったい何だ

ったのだろうか。

その答えを見つけるまでは自問してみたく思っています。



伝言板に書込みをするのは初めてなので稚拙な文章はこび

は許してください。

でも、今回はどうしても書込まずにはいられなかったのです。





この書込みをした時には全く判らなかった答えが、今は、一つだけ判ったような気がする。

伊藤俊人という俳優が『王様のレストラン』の中で演じていたもの、それをこの時はドラマ全体をフルコースとして捉え、そのコースの中で堪能する料理や飲物として譬えていたが、それこそが大きな間違いであることに気がついた。

彼はコース料理でもなければ、アラカルト料理でも、それに出てくるワインやシャンパンでもないのだ。

『アミューズグレ』、つまり、日本語で言うと『お通し』のことだ。そう、彼は間違いなく『アミューズグレ』なのだ。

ドラマの中で、筒井道隆が招待客の松本幸四郎の到着を待つ間に、コミ(食堂係見習い)役の伊藤俊人が一番最初にテーブルへ運んで来て、プレートの上に置く。それが、『アミューズグレ』なのだ。

フランス料理に疎い筒井道隆が焦ったように訊く。

「えっ、まだ頼んでないんですけど」

コミ役の伊藤俊人が答える。

「アミューズグレでございます」

何だかよく分からないという顔をしている筒井を見て、伊藤は続ける。

「お通しです」


三谷幸喜の脚本はやっぱり凄い。こんなにも短い場面の中で、このシチュエーション・ドラマ全体における、伊藤俊人という俳優の重要な位置付けを、実に端的に啓示させていたのだ。




BIGLOBE百科事典-王様のレストラン

you tube-王様のレストラン(オープニング&エンディング)





王様のレストラン DVD-BOX La Belle Equipe
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ザ・ホテル

2006/05/16 03:34
画像まだ私が二十歳を過ぎて間もない頃、その当時は港区赤坂に建物を構えていた一流外資系ホテルで、約半年の間、バーテンダーの仕事に従事していた。

バーテンダーと言っても、そのホテルではランクというものがはっきりしていて、上から順に、シニア・バーテンダー(袖口に蛇腹の金線が1本)、バーテンダー(同、銀線が2本)、ジュニア・バーテンダー(同、銀線が1本)、そして、見習いで下げもの専門と言う意味で、バス・ボーイ(線は無し)、という四段階にクラスが分けられていた。

もちろん、私のように勤務して間もない人間は、バス・ボーイという位置づけになってはいたが、それでも、マティーニ、マンハッタン、マルガリータのような定番のカクテルや、その他、あらゆるドリンクのサービスを、多くの外国人や有名人を含む、多種多様なお客様に対して提供していた。

十代の頃から様々なホテルでアルバイトをして来た私なので、ある程度はホテル従業員というものの持つ本質的な気質みたいなものを、多少なりとも理解しているつもりではあったが、そのホテルに勤めている従業員たちの言動には、何度となく驚かされた。

兎にも角にも、会う人間、会う人間、殆んど全ての従業員の口が悪かった。もちろん、当事者である、お客様の方々には絶対に聞こえない様にである。

ハリウッド映画では、一流ホテルという設定の場合、常に、そのホテルのエンブレムが入った建物やロビー等が撮影場所になるぐらいの名門ホテルなのだから、従業員にもそれだけの厳しいマナー教育が行き届いているのだろうと思っていたが、映画で観るのと、現場で実際に働いてみるのとでは、実に大変な開きがあった。

飲食店や、宴会場などの各部署には、ウェイターやバーテンダーに指示をする立場の、黒服と呼ばれる人間が何人もいるのだが、彼らは、全てのお客様に対してと言っても過言で無いくらいに、相手には決して覚られない様な満面の笑顔で、その場面場面に悪態を吐く。

地方からのお客様に対しては迷わずに『カッペ』と呼び、常宿としている著名なファッションデザイナーには『ホモ』あるいは『オカマ』、よくこのホテルを利用する超巨体で有名なプロレスラー(この人は顔に似合わず、苺のショートケーキをよく食べにきていた。なんと、酒は一滴も飲めないとの事)には『デク』または前記のように『ホモ』、また、客ばかりでなく、そのホテルの総支配人に対しても『ハゲ』もしくは『ゲシュタポ』あるいは前記のように『ホモ』と呼んでいた。

何故か『ホモ』とか『オカマ』が矢鱈に使われていた。今になって思い返してみれば、確かにそんな雰囲気があったのかも知れないが、当時の私は全く本気にしていなかった。まだ純真(あるいは無知)で世間というものを殆んど知らなかったせいである。

指導者となるべき黒服がこんなんだから、その下にいる従業員も皆、上に習えであった。
今の私が、時々、影で悪態を吐く癖(といっても、私の場合は相手に聞こえるような大声になってしまうが)は、この時に身についてしまったのかも知れない。

このホテルは、本当に様々なかたちの驚きを、私に与えてくれた。

今も、○○おばさんと呼ばれて、レギュラー出演となる多くのバラエティ番組で、頗る元気に活躍している有名人気女優が、慈善パーティー会場などで常に若い男性を侍らせていたり、ある政党の無名議員を励ます会と銘うった数千人規模の立食パーティーにおいて、有力な議員たちの演説では、熱心に聞き耳を立てていた人々が、いざ、その日の主役である筈の無名議員が壇上に立った時には、わずか数十人を残して帰ってしまい、残っている人たちも、実につまらなそうに演説を聞いていた。また、TVのプロレス中継では親の敵の如くに烈しく血を流して戦っている、前記のプロレスラーと、外人の悪役覆面プロレスラーが、あたかも、間宮兄弟のように、非常に仲睦まじく、とても親しげに食事をしている光景を垣間見ることも出来た。

このホテルは、当時、本当に世間知らずだった私を、ほんの少しだけ大人にしてくれたのかも知れない。

その部分に関してだけは、感謝したほうが、いいのかな。










現役ホテルマンの抱腹絶倒裏日記―一流ホテルに集う奇人変人のお客様マル秘話
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『ちゅらさん4』ついに制作決定。バンザーイッ!!!

2006/05/12 04:03
ついに、ついに、つ・い・に、『ちゅらさん4』の制作が決まりました。

前作から2年以上も待たされての放映は、今年の冬との事。

思い起こせば5年前に、沖縄出身の知り合いがいた為に見始めた、NHKの朝ドラ。

ハマりにハマって、全話完全録画したビデオは、隅から隅まで、擦り切れるほどに観賞した。

ゴーヤーマン欲しさに、原宿のキディランドから東京駅の地下街、はたまた、横浜はセンター北にある阪急デパートにまで足を運んだ。

流した涙の総量は、風呂桶いっぱいをゆうに超え、笑い転げた回数は、それこそ計り知れず。

全ての沖縄人が愛おしくて、愛おしくて、どうしようもない時期すらあった。

『ちゅらさん2』の放映が決まったときには、天にも昇る気持ち、というものが心の底から実感できた。

余り過ぎるほどの勢いで、オフィシャルサイトのBBSへも、全身から溢れる気持ちを、思いっきり書き込んだ。

文字数600字以内という、一般的な小論文よりも、はるかに厳しい字数制限の中で、何度も何度も推敲を重ねて、ようやく仕上げたときには、二時間もの時間が経過していた。

NHKのオフィシャルサイトだけあって、ページの作りもしっかりしているな、と感心しながら、掲載された自分の文面を眺めて、ひたすら自己満足に浸りきっていた。

以下、その文面。




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2154「やっぱし、イイナァ」…ジュソンジュ 04月24日17時27分

私が、生まれて初めて沖縄人と出会ったのは、高校に入学し

て、意を決してボクシング部に入部した時だった。私の胸ま

で位しかない身長、骨太な体系、彫りの深い顔立ち、愛くる

しいとも思える瞳。そのとき以前に出会った人々とは、明ら

かに異なった種類の人間だった。

四十度近い高熱を出しても、学校を休まないばかりか、部活

にも出てきた。

また、そんな日に限って普段の練習とは打って変わったウン

ザリするような特訓、四階建ての校舎を上りはウサギ跳び、

下りはアヒル歩き、それを延々と繰り返す。遂に耐え切れ

ず、顔面蒼白で嘔吐している彼に対し、保健室へ行けと言う

先輩部員に

「だっ…大丈夫です。続けさして下さいっ! 」

と必死の形相で睨み懇願する。

どうしても受容れられないと覚ると、そのまま悶絶した。

後に日本チャンピオンとなり世界ランキングにも名を連ねた

彼。私に根性と言う言葉の本当の意味を全身で理解させて

くれた彼が、妙にエリィとダブってしまう。

どんなに苦しくてもつらくても、周りにいる仲間に対しては常

に明るく下らないギャグをとばし、決して不愉快にさせない

どころか、細やかな心配りをする。

そんな彼の姿を見ているだけで、いつも妙に嬉しい心持ち

にさせられた。

永久保存と決めたちゅらさん全話のビデオを繰り返し繰り返

し観賞し、今、ちゅらさん2に魅了させられて想う。

沖縄って、沖縄人て、やっぱし、イイナァー。




これを掲示した後も、しばらくの間はこのBBSで、他の人たちの書いた文章を眺めて楽しんでいた。

そんなある日、一つの書込みを見て愕然とした。

以下、その書込み。



2274「SHINYA」…SHINYA 04月27日20時16分

私が、生まれて初めて沖縄人と出会ったのは、高校に入学し

て、意を決してボクシング部に入部した時だった。私の胸ま

で位しかない身長、骨太な体系、彫りの深い顔立ち、愛くる

しいとも思える瞳。そのとき以前に出会った人々とは、明ら

かに異なった種類の人間だった。

四十度近い高熱を出しても、学校を休まないばかりか、部活

にも出てきた。

また、そんな日に限って普段の練習とは打って変わったウン

ザリするような特訓、四階建ての校舎を上りはウサギ跳び、

下りはアヒル歩き、それを延々と繰り返す。遂に耐え切れ

ず、顔面蒼白で嘔吐している彼に対し、保健室へ行けと言う

先輩部員に

「だっ…大丈夫です。続けさして下さいっ! 」

と必死の形相で睨み懇願する。

どうしても受容れられないと覚ると、そのまま悶絶した。

後に日本チャンピオンとなり世界ランキングにも名を連ねた

彼。私に根性と言う言葉の本当の意味を全身で理解させ

てくれた彼が、妙にエリィとダブってしまう。

どんなに苦しくてもつらくても、周りにいる仲間に対しては常

に明るく下らないギャグをとばし、決して不愉快にさせないど

ころか、細やかな心配りをする。

そんな彼の姿を見ているだけで、いつも妙に嬉しい心持ちに

させられた。

永久保存と決めたちゅらさん全話のビデオを繰り返し繰り返

し観賞し、今、ちゅらさん2に魅了させられて想う。

沖縄って、沖縄人て、やっぱし、イイナァー。




この文章を読み終えてから、ほんの少しの間だけ、何がなんだか分からずに、放心状態となっていたが、その後は全身に烈しい怒りが込みあがってきて、怒髪が天を衝いた。

なんと、このSHINYAという男(女?)は、私が苦心に苦心のうえ、2時間も掛けて書き上げた文章を、そのままコピーしてペーストしたのだ。

剽窃、盗作、著作権の侵害。怒り心頭に震えながら、様々な言葉が意識の中をよぎっていった。

失礼にも程がある。もし、この文章が気に入ったというのなら、自身の文面で紹介してくれれば、いいわけだし、100歩譲って、どうしてもこの文章を書き写したいのなら、少し手を加えて原型を留めないようにアレンジして掲示すべきではないのか。まあ、これも余り良い事とは言えないが、それでも、丸写しよりはましである。

抑えきれない怒りの矛先は、BBSを提供している、NHKオフィシャルサイトの中の意見・感想に関する投書の窓口へと向かった。

完全に頭に血が昇り切った状態での抗議文の作成だった為、そこに書いた内容は、殆んどと言ってもいい位に覚えてはいないが、文字数に関しては、1000をはるかに超えていた事だけは、はっきりと覚えている。

覚えている部分だけをいえば、天下のNHKともあろうものが、掲示板の書込みという実に単純な行為に対して、まともにチェックすらも出来ないのか、と非常に強く批判したことだけである。

友人・知人にこの話をすると、みんなが口を揃えた様に、そんな事ぐらいで何を騒いでいるのかといい、また、私の文面を勝手に掲示した人間に対しては、私の文章を気に入ってくれたんだから、逆に喜ぶべきだと、人ごとだと思って実に適当なことをいう。

BBSにだって著作権があるのだ。苦心して書き上げた文章は、私にとって恋人みたいなものなのだ。他人が素敵な恋人を連れていたら、それを勝手に自分のものにする。そんなことが倫理的に許されるのか。何人かの人たちに話すことで、より一層に憤りが深くなっていった。





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いくばくかの時間が流れ、『ちゅらさん3』が始まった頃には、そんな事実があったことなど、すっかりと忘れて、またぞろの嬉しさから、再びNHKのBBSに書込みをした。

するとどうだ、前回は、入力したら直ぐに画面上に文章が表示されていたのが、今回は、『投稿から掲載まで、しばらくお時間を戴きます』との表示となった。

一度検査をした上での掲載となる為、多少は時間が掛かるとの事らしいが、その後、何度も何度も掲示板の表示を確認したところ、私の書込みが漸くに掲載されたのは、なんと、コメントを投稿してから丸2日も経過した後だった。

何でだよ、と些か腹が立ったが、よくよくに考えて見ると、もしかしたら、前回に私が投書した苦情のせいで、書込みに対する検査体制をより厳重にするように、との通達があったのかも知れない。

まあ、多分、そんなことは無いだろうかとも思うが、もし、そうであったとしたら…… 。

なんとも複雑な心境である。










ちゅらさん 完全版 DVD-BOX
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小児性愛

2006/04/13 02:11
第二章の第1節では、DVと呼ばれて今だに社会問題視されている、配偶者や恋人からの理不尽でありながらも、どうにも抵抗ができない過酷な暴力の中で、人間としての尊厳であり、母親として、どんなにつらいことがあろうとも決して失ってはならぬ本質であって、最も重要な要素ともいえる、その母性の消失を、厳しい弱肉強食社会を生きるアフリカの野生動物を例としての視点から捉えてみる事で、この問題の本質をもうひとつ深く掘り下げて見ようと思った。

しかし、野生動物の例をいくら分析してみたところで、それはあくまでもエソロジー(動物行動学)や比較心理学の領域であり、臨床心理学における『忘却』をテーマとした論文の中での実例として挙げるのには、視点にも論点にも些か問題があるようにも思えてきた。

幾何か悩んだ後に、数年前に読んだ新聞記事を思い出した。

それは、20年も前の幼児期の記憶が催眠術で甦り、実の父親を殺人犯人として訴え出たアメリカの主婦に関するものであった。

第2節にこれを取り上げる事にして、その後の数週間の資料集めが非常に大変だったが、ある種面白くもあった。

一応はピエール・ジャネの『解離』や、ジークムント・フロイトの『防衛機制』を視点として執筆したが、フェスティンガーの『認知的不協和理論』的な捉え方も出来るのではないかとも思うも、そこまで手を拡げられる力量は自分には備わっていない事と、また、提出期限を考慮して、それは取りやめる事とした。

以下に、第二章第2節を掲示する。




「『それをしたのは私です』と私の記憶が言う。『私はそんな事

をした覚えは無い』と私の自尊心は主張して譲ろうとはしな

い。すると遂に―記憶の方が折れるのである」
                            
                   《フリードリッヒ・ニーチェ》





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2)*ぺドフィルの娘


 事実は小説より奇なり。

 落語などで昔からよく使われているフレーズだが、実際、新

聞やテレビのニュースを見ていると、心の底から驚かされる事

件に度々お目にかかる。

 この事件も私に少なからぬ衝撃を与えた。

 カリフォルニアはアメリカ合衆国の太平洋岸に位置する州

で、何故か冬には雨の日が多い。

 しかし、1989年1月の、その日は珍しく空が青く澄み渡った

晴天であった。

 アイリーン・フランクリン・リプスカーは午後のひと時を、五歳

の娘ジェシカと一緒に自宅の居間でくつろいでいた。

 不意に娘は、背中を向けながら首をひねって、彼女の顔を

見上げる。窓から照らす陽光を浴びて、輝く愛娘のブロンドの

髪、そしてキラキラと光る青く澄んだ瞳。それを見つめる母の

心に、デジャヴュにも似た、奇妙な感覚が突き抜けた。

 小首をかしげて母を見る娘と目があう。

「こんな感じ、確か前にどこかで? ・・・・・いやっ! やめてっ

!! 」

 次の瞬間に甦った記憶は、全身に戦慄が走るほどにおぞま

しく凄惨なものであった。

 それは、その日から二十年遡った1969年9月の出来事。

アイリーンの父親ジョージ・フランクリンが、小学校で同級生の

親友スーザン・ネイソンを、アイリーンのすぐ傍で陵辱した挙

句に、大きな石で頭を打ち砕いて殺害している場面である。

 このときスーザンは、まだ八歳であった。

 半年後、以前からカウンセリングを受けていた心理療法士

(psycho therapist)に、このことを告白する。そして、これがき

っかけとなって、彼女は、意識の底に抑圧していた過去の記

憶を少しずつ思い出していく。

 想起された思い出の中には、彼女自身も、三歳の頃から父

親に陵辱され続けていたという酷いものまで含まれていた。

 それも、父親ばかりか彼女の名付け親にまで。父親から、

その男に、謝礼として贈られたのだ。

 この年の暮れ、彼女は愛する父親を、第一級謀殺犯人と

して刑事告発する決心をした。

 過去に例を見ない異質な裁判はこうして幕を開けた。

 この裁判には物的証拠が何ひとつ無く、アイリーンの証言だ

けが唯一、事件を立証できるものであった。

 その為、二十年間に渡って抑圧されていたとする彼女の記

憶に対して、どこまで信頼性がおけるかを確認すべく、検察側

と弁護側の双方から一人ずつの精神鑑定人が召喚された。

 検察側の証人にはカルフォルニア大学の精神医学臨床教

授、レノア・テア。

 弁護側の証人にはワシントン大学の心理学教授、エリザ

ベス・F・ロフタス。

(初めはスタンフォード大学の精神科医デヴィッド・スピーゲル

が弁護側の証人であったが、抑圧よりも、自己催眠と解離を

重視していた為、あまり参考にされなかった。極端な解離の

症例を主に取り扱っていた)

 この裁判はジョージ・フランクリンが殺人を犯したかどうかを

審議するのではなく、それを見ていたとする娘のアイリーンの

記憶が、どこまで信頼できるのかを調べる事が重要な争点と

なる特殊なものであった。

 検察側の主張する、アイリーンの記憶の正確性を立証する

裏づけに、鑑定証人のレノア・テアはエピソード記憶の説明に

続けて、小児精神科医としての経験からトラウマ体験によって

起こる記憶の抑圧を説明した。

 つまり、抑圧はたんなる忘却と違い、能動的な防衛であって

無意識の葛藤であること。そして、抑圧された記憶を想起させ

る強力なきっかけは、気分でも状態でもなく単純な知覚(この

場合は視覚)による合図であること。性的虐待を繰り返された

過去によって抑圧された記憶も、その抑圧がなくなれば、ほ

とんど正確に想起されること。もしも、この記憶内容がセラピ

ストの暗示によって植え込まれたものなら、症状や徴候が

次々に現れたりはしないこと等であった。

 これに対して弁護側は、ジョージが娘におこなった近親姦な

どの数々の性的虐待に関しては、それを全て認め、その事実

を恨んだアイリーンが、偽りの告発で父親に復讐しようとする

動機を示した。

 また弁護側の鑑定証人エリザベス・ロフタスは、アイリーン

の子供時代の記憶やトラウマに対しては余り語らず、記憶全

般についての考え方を次のように説明した。

 人間の記憶は、それが抑圧された記憶であっても『誤答誘

導実験』の結果から、記銘(取り込み)、保持(貯蔵)、想起(取

り出し)の、どのプロセスにおいても変化しうる可能性があり、

特に保持に関しては、その期間が長くなればなるほど、最初

の出来事の記憶に影響を与える外部からの事後情報で、そ

の記憶は歪曲を引き起こすことが明らかになった。つまり、ア

イリーンの記憶は、二十年という長い保持期間に与えられた

事後情報と、心理療法士の誘導的で暗示的な会話や、催眠

療法(アイリーンは最初、催眠術で記憶がよみがえったと嘘を

ついていた)等の影響によって歪められた節が有り、証言とし

て信頼に足るものではないと述べた。

 精神鑑定というものは、本当に難しいものだといつも感じ

る。

 日本の裁判においても、宮崎勤に行なった精神鑑定などの

例でも分かるように、心理学者や精神医学者の意見は驚くほ

どに分裂して、絶対とまで言える位に一致を見ない。まして、

この鑑定は、証人が想起した記憶が真実か否か(本当か嘘か

ではない)という、裁判においては、最も重要な根幹の部分に

関わるものであるから、双方の鑑定人は相当な慎重さを持っ

て事に携わったと思われる。

 それでも、やはり、専門による視点の置き方の違いや、立場

の違いによる意地とか矜持も絡むのだろう。まったく異なった

結論が出てしまう。(弁護側の証人、エリザベス・ロフタスは自

著で、犯罪の目撃者がその犯罪の起きた状況を想起できる

と、犯罪そのものの再生もよく出来ると述べている。それをこ

の場合は適用できないのか?)

 想起された記憶が正しいのか、それとも誤っているのかを調

べる方法はないのだろうか。

 ハーバード大学の心理学教授ダニエル・L・シャクターらが女

性12人に対して実施したPET(陽電子放射断層撮影)を使っ

た実験(二十個の単語を覚えた後、複数の中から同じ単語を

選ぶ)の結果で、記憶が正しかった時は、左脳の側頭葉の一

部が活性化していることがわかった。

 ただし、この部分は、言語に関する新しい記憶を処理する部

位だから、それ以外の古い記憶には適用できない。また、間

違った記憶が正しい記憶のように振舞う可能性もあり、当分、

実用化は無理であろう。

 1990年11月30日、陪審員は八時間にもおよぶ評議の結

果、ジョージ・フランクリンを第一級謀殺で有罪と評決。

 1993年4月2日、カリフォルニア控訴裁判所第一部は、ジ

ョージ・フランクリンの有罪を支持。

 1993年7月15日、カリフォルニア最高裁判所は、ジョー

ジ・フランクリンの控訴を棄却。七人の最高裁判事の意見は

一致していた。

 1995年、アメリカ合衆国連邦裁判所は、ジョージ・フランク

リンに対して、逆転無罪判決を下す。

 1996年、カリフォルニア州は、ジョージ・フランクリンに対

し、再審理を行なわないことを決議。

 五年以上の長きに渡った裁判は、被告人の勝利という形

で、その終焉を迎えた。

 この年、アメリカの法廷に於いて、蘇った記憶がきっかけと

なって審議されている裁判は、民事、刑事合わせて八百件

以上にも及んだ。



*pedophile:小児(性)愛者《子供を性愛対象とする性的倒錯

者》 [同]


・参考文献:テア・レノア『記憶を消す子供達』 
        ロフタス・E・F『目撃者の証言』   他多数










Mind Hacks―実験で知る脳と心のシステム

 
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思い出

2006/04/08 04:51
 さて、とはいうものの、何をどう書き始めていいのやらさっぱり分からず、悩みに悩んだあげく、何年か前に取得した厚生労働省認定カウンセラー資格の、当時の私としては、実に苦しくもつらかった実技講習の宿題で、本当に嫌々ながらも、三週間掛けて書き上げて、今読み返すと真に稚拙な言葉はこびにはなっていますが、文章としては初めて他人に喜んでもらえた、課題レポートから公開させて頂きます。





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≪最も心に残っている、あなたの少年・少女時代の思い出≫



 あれは私が、小学校の四年生になった年の、夏休みに入っ

て間もなくの事であった。

 平生の私はと言うと、大変な朝寝坊で、母にどれだけ迷惑を

かけて困らせたかわからない程であったが、その日に限って

は、午前三時半にセットした目覚ましのベルの音で飛び起き

たのである。

 少し身体に眠さと気怠さが漂っていたが、それでも、独りパ

ジャマから普段着に着替え、家族を起こさぬようにと静かに

靴を履き玄関を出た。

 外は未だ闇に包まれていて、静寂が肌に染みてくるような、

妙な感じを覚えた。

 その頃、私の住んでいた家は、長い坂道の途中の道路わき

に建つ平屋であった。

 その家の前の坂道に立ち、右手にしっかりと懐中電灯を握

りしめた私は、その坂道を足早に上って行った。

 しばらく行くと、道路の左わきに、未だ舗装されていない道

で、付近の人達に急坂と呼ばれている坂道がある。

 その道を私は一気に駆け下りた。

 坂下の道を少し行くと目標の小山がある。昼間とは違う未明

の闇に包まれているその山の中へと入り、山道を登っていっ

た。

 不気味に鳴く鳥の声に驚いて、心臓の鼓動が半鐘のように

耳元で響き渡る。

 恐怖感でその場を逃げ出したくなるような衝動を堪えてずっ

と登り、目的である一本の樹木にようやく辿り着くことが出来

た。

「いたぞぉっ! カブトだ!! 」

 私は嬉しさの余りに思わず大声を出していた。

 懐中電灯で照らした樹木の幹には、大型の牡のカブト虫が

二匹も止まっていたのだ。

 私は、そのカブト虫を見失わないように、ゆっくりと樹の幹に

近づいて、そっと手を伸ばした。用意してきた虫篭に二匹を入

れる。

 その時の私は、とても冒険的で大変な仕事を成し遂げたと

いう充足感と、私だけではなく、友達みんなが欲しがっていた

大型のカブト虫を、二匹も捕まえられたことに対する優越感を

味わっていたのであろう。 

 実際、その二匹のカブト虫の横には、大きなスズメバチも止

まっていたのだが、全くと言ってよいほどに、少しも恐怖を感じ

なかったのは今もって不思議である。

 見上げると空は、仄かに明るく白んでいる。

 帰り道の足取りは、本当に軽かった。










幸せの虹をつくる―こころの宝物を探すイルカの冒険 少年Aたちに読んであげたかった本
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