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パンズ・ラビリンス、或いは、解離性障害

2007/10/24 03:09
情けないまでに、いきなりの号泣をしてしまった。

とめどなく溢れ出る涙をどうすることも出来ずに、思わず漏れそうになる嗚咽だけは、周囲に聞かれてなるものかと、ひたすらに堪えていた。

私のお気に入りブログの一つ、『水曜日のシネマ日記』の見出し、度肝を抜かれた! の一言に惹かれて、無理やりに妻をさそい、川崎のチネチッタに久々の映画観賞へと足を運んだ。




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時代と舞台背景は、1944年の内戦終結後のスペインの山奥にある、フランコ軍の駐屯地。

主人公は、レジスタンス・ゲリラ制圧の為、この地の指揮を任命された残虐で冷酷な将軍、ビダルと再婚して身重となった母、カルメンと共に、この危険な駐屯地に連れてこられた、おとぎ話が大好きな少女、オフェリア。

何冊もの本を抱えて車を降りたオフェリアが、出迎えた義父、ビダル将軍を眼前にした時の、怯えきった表情が、この先の彼女の運命を象徴していた。

現実のつらさが、彼女を非現実な空想の世界へと誘う。

オフェリアは壊れてしまいそうな自分の心を守りたかった。臨月に苦しむ母を救いたかった。そして、母のお腹にいる弟を助けたかった。

昆虫を妖精と想い、遺跡を迷宮として、現実には決して存在するはずのない牧神(パン)を救世主として、次の満月の夜を迎えるまでに、厳しい三つの試練に立ち向かう。




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過酷な現実から逃れられるならと、おぞましいまでに不気味な第一の試練の場所へ出向くオフェリア。




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恐怖に打ち勝ち、強い克己心を確立させるべく第二の試練を向かえる。




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そして、残酷なまでに凄惨な現実が交錯する、最期の試練。




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メキシコ・スペイン・アメリカの三カ国合作によるこの映画、『パンズ・ラビリンス(牧神の迷宮)』は、米アカデミー賞の美術賞・撮影賞・メイクアップ賞の三賞に輝いた作品であるが、もしも私が審査員ならば、脚本賞も取らせてあげたい位に秀逸な作品である。

いつもなら、上映が終わると直ぐに席を立とうとする私を、家内が引き止めるのが常であるが、今回は、双眸から溢れ出る涙を他人に見られたくないという思いと、この秀作の余韻をいつまでも味わっていたいという感情から、早く帰ろうという彼女を制して、場内が明るくなるまで、席から立ち上がらずにいた。

おそらく、その時にこの映画を観賞していた人たちの中で、私一人だけであったろう、このブログでも『コンフリクト(葛藤)』という表題で紹介し説明した、解離性障害を患った子供たちの姿を、オフェリアの内面に投影して見ていたのは。

どんなに悲しくても、つらくても、怖ろしくても、その場所から決して逃げることの出来ない現実に直面した子供たちが、無意識下で自分で自分に催眠をかけて、心の逃避をはかることでしか自分を守ることが出来ない憐れさを、そして、無情の思いを烈しく痛感させられていた。

朝青龍は解離性障害だ、とほざいたバカ医者に、この映画を見せてやりたい。

平然と我が子を虐待し続ける愚かな親たちにも、このオフェリアの哀しさを理解させてやりたい。

日本中の多くの人が、この映画を見ることで、子供の心の危うさや、脆さを、一般的な知識としてでは無く、より本質的な感情として認識するようになればとひたすらに願ってやまない。

最後に、私の卒論の第一章第三節で簡潔に著わした、解離性障害の各症状を掲示して終わりにしたいと思います。



             ≪解離性障害(dissociative disorders)≫

ピエール・ジャネが精力的に説いた解離(dissociation)という概念が、ベトナム戦争の後遺症や性的虐待の多発を背景に1970年代に入ってからアメリカの精神医学会で再び脚光を浴びたもの。

心的外傷によって人間の精神の統合が失われる状態。

自我を性格づける単一性、同一性、能動性、限界性が崩れてしまう。

その変化の仕方は多くの場合、非常に素早く、きっかけも本人が気づかない事が多く、ある時点から自分の感じ方、知覚、感情などの体験の仕方が変わったりする。

長期間にわたる、強力で威圧的な説得を受けていた人に起こりやすい。

〔例〕洗脳、思想改造、人質に対する犯人の教化、または、強圧的な親による精神的・肉体的に苦痛の伴った感化。

一度でも解離状態になった人は何年経っても、その原因を引きずりやすく、何度でも解離性障害を起こしやすい。

幼女殺しの宮崎勤や、神戸の酒鬼薔薇少年がこの解離性障害であったといわれている。


@)解離性健忘(dissociative amnesia)

ふつうは心的外傷、またはストレスの強い性質を持つものの、想起が不可能となるような記憶の喪失。

非常に広範囲にわたる為、通常の物忘れでは説明が出来ないような事例。

例えば、目の前にある物がまったく見えないとか、自分のしたことを完全に忘れてしまうなど。

純粋な解離性健忘はエピソード記憶の機能だけが阻害されるので、普段の生活に支障を来たすことは、ほとんどない。


A)解離性遁走(dissociative fugue)

つらい事件をきっかけとして、ある日突然に家庭、または普段の職場から逃げ出して放浪する行為。

個人の同一性について混乱しているか、もしくは、新しい同一性を装う。

遁走中の記憶は喪失しており、想起することが全くできなくなるか、あるいは、思い出したとしても、霧がかかっているようにぼんやりしている。


B)解離性同一性障害(dissociative identity disorder)

二つ以上の、はっきりした人格が存在して、それらが繰り返し患者の行動を統制する。

重要な個人的情報の想起が出来ない状態で、ふつうの物忘れとは言えないほどに強い。

別名、多重人格性障害。


C)離人症性障害(depersonalization disorder)

本来の自分が失われて、現実感がすべて喪失する状態。

自分の精神が身体から遊離して、あたかも自分が第三者的な傍観者であるかのように感じる、持続的、または反復的な体験。


・参考文献:フランシス・アレン編(訳、高橋三郎他)『DSM−IV・精神疾患の分類と診断の手引き』医学書院 他




パンズ・ラビリンス・オフィシャルサイト

YouTube - Pan's Labyrinth End of All Hope

YouTube - Pan's Labyrinth full length trailer

YouTube - Pan's labyrinth lullaby






パンズ・ラビリンス
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ホームタウンデシジョン

2006/08/05 17:09
世間では亀田対ランダエタ戦の八百長疑惑に華を咲かせているようだが、30年以上のボクシングファンの一人として、私も自分勝手な解釈での素直な意見を言わせて頂くことにする。

まず、真の勝利者はどちらかというなら、亀田興毅、その人であることに何の間違いも無い。

国際試合の行われるスポーツというスポーツの殆んどには、必ず、ホームとアウェーでの戦いがあるのだ。

サッカーもしかり、野球もしかりだ。WBCやワールドカップを観てきたスポーツファンなら納得して頂けると思う。

審判は機械ではなく人間なんだ。

人間だったら、自分を受容れてもらった相手や国に対して、多少の敬意を払うに決まっている。

敬意を払わない事のほうが、全くどうかしているのだ。

中立的な立場を保持せねばならない審判として、表層的・顕在的な意識の中で、出来うる限りの公平な判断や、贔屓の無いように両選手への気配りをしても、その深層にある潜在的な意識・心理によって、ほんの僅かではあるが主催者側に偏ってしまうのは、ごく普通の人間である以上、実に止むを得ないことなのだ。

私が何十・何百と観てきたタイトルマッチの中には、これよりもっとひどい判定となった試合が幾つもあった。

ユーリ海老原がタイで行った試合なんか、それこそ、会場にいる全ての人間が敵であったと言ってもいい。

異常にクッションの効いたリング、ユーリが優勢になると止めるレフェリー、観客の罵倒、第7ラウンドのユーリのラッシュ攻撃時に2分30秒で鳴らされた終了のゴング、それこそ四面楚歌ならぬ八面楚歌の中で、ユーリは見事に第9ラウンドでのKO勝利を迎えたのだ。

ユーリだけでは無い。多くの日本人ボクサーが、海外で世界タイトルに挑戦する中で、散々に辛酸を舐めてきたのが、このホームタウンデシジョンなのだ。

それを何だ。負けた国の国民が相手選手に抗議するなら解るが、勝った側の国民が、自国の選手を寄って集って叩き潰そうというのはどういうことなのか。

おそらく批判している人たちの半分以上は、普段はボクシングなんか見向きもせずに、K1がいいとか、PRIDEがどうとかと、騒いでいる連中だと思う。

それこそ、男が裸一貫、両の拳だけで世界を掴み取るなんて美学は、絶対に理解出来ない連中だと思う。

試合終了のゴングが鳴り終わったとき、私は妻に言った。

「よくて判定勝ち、悪くても引き分けだろうね。ここ(試合会場)は日本なんだから。でも、明日の新聞は大変だろうな、一流紙は亀田の勝利を賞賛するだろうけど、二・三流紙は、疑惑の判定とかいうような記事を一面にもってくるんだろうな。みんなの意見も、勝ち負けで真っ二つに分かれるんじゃないかな」

ところがどうだ。三流紙どころか一流紙までもが、亀田叩きを始めた。まるで日本国中が亀田一家を目の仇にするような動きまで出始めている。

YahooやBIGLOBEのアンケートでも、90%以上の人々がランダエタの勝利を叫んでいる。

しかし、その人たちの大部分は、本当に試合の流れを隅から隅まで観ていたのか?

確かに、1Rのダウンと、11Rでのスリップダウンにも及んだクリンチワーク。その部分だけを言えば、明らかな劣勢である事は否めない。

だが、その他のラウンドはどうだ。

試合巧者のランダエタは、時折見せる亀田のラッシュにたじろぐも、老獪な誤魔化しともとれる、あのロープ際の魔術師と呼ばれて一世を風靡した世界チャンピオン、ジョー・メデルをも思わせるようなロープを背にしょっての防戦。

亀田はといえば、ランダエタの、威力は無いが実にすばしこいパンチに対しても、しっかりと両の拳でガードを固めての、慎重な防御姿勢。

はっきり言おう。狡さでは、百戦錬磨の試合巧者、ランダエタの足元にも及べなかった。

今回の亀田は、直向だった。とにかく直向だった。

絶対にチャンピオンベルトを掴んでやるぞ、との強い執着心。

打たれても、打たれても、決して短気を起こさずにガードを固め、一瞬の隙を見つけては烈しい連打を繰り返す。

あわやランダエタをダウンさせるかと思われたシーンも何回かあった。

そして、次が一番大事なところだ。

亀田が右目を切ったのは、明らかに故意で悪質なランダエタの反則攻撃、バッティング(頭突き)によるものなのだ。

人間と言う生き物は、綺麗事だけでは生きてはいけない悲しい生き物なのだ。

今、亀田を叩いている人たちの大半は、サッカーのワールドカップの試合で何を観て来たんだ。

掴む、蹴る、足を払う、頭突きに肘打ち、スポーツマンシップの欠片もない男たち。

ランダエタも彼らと同じ種類の選手だった。

少なくとも私の両眼に限っては、しっかりと間違いなく、そう捉えた。

亀田興毅が今まで被っていたヤンキーの鎧を捨てて、それこそ、少年の様に泣きじゃくる姿を見ているうち、私の双眸からも今まで流したことが無い様な、無垢の涙が溢れていた。

世界チャンピオンになるぞと宣言した、小学生時代のその日その時から、彼の周りにいる心無い連中たちは、様々な揶揄中傷を入れて来ただろう。

うそつき、ホラふき、ハッタリ屋、それにヤクザの息子といった様な、ありもしないデマまで言われたかも知れない。

そんな連中の言葉に振り回されること無く、決して負けずに、亀田興毅は男の意志を貫いたんだ。

私を含めて多くの人たちが出来ないようなことを、彼は艱難辛苦を乗り越え、やり通したんだ。

最後にこれだけを言わせて頂く。

貴方たちに亀田興毅の真似が出来るのか?

亀田興毅のように、すぐにでも、その場所を逃げ出したくなる様な、底知れぬ恐怖と戦いながら、常に自分の弱い心を隠し通し、大勢を敵に回してまでも、突っ張り続けることが出来るのか?

その両の拳だけで、命と名誉とマネーを賭けて、全身全霊で戦い続けることが出来るのか?






私には…… 、出来なかった。




         YouTube - ユーリ 海老原 vs ムアンチャイ キティカセム







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日本プロボクシングチャンピオン大鑑
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カウンセリング

2006/08/02 18:33
私が大好きな面白サイトである『笑いシーク』のコメント欄で、司会さんと言う方に、ブログをサボっていることに対して、きついお叱りを受けてしまいました。

このお叱りを真摯に受止めて、今日からは心を入れ換え、以前のように、さまざまな分野に渡り、この上なく無知で、自分勝手な解釈と意見を述べさせて頂きます。

そう思い、色々と試行錯誤を繰り返してキーボードに立ち向かっても、実に2ヶ月ぶりの再開となるので、なにをどのように表現して良いものやら、さっぱりとテーマがうかんで来ません。

そこで、過去に掲載した記事と、そのアクセス数を確認したところ、以外にも、厚生労働省認定カウンセラーの、受験資格取得の為の、実技講習で提出したレポートの閲覧数が多いようなので、その時には掲載をしなかった、もう一つの原稿を掲示させて頂くことで、再開の挨拶とさせて貰うことにします。

模範解答のように扱われたものなので、カウンセリングに興味のある方、また、これからカウンセラーを目差して見ようと思う方には、ほんの、爪の先ぐらいではあるけれど、なにかの役に立つかもしれません。

そうでない方には、全くの時間潰しにしかならない代物かとも思えますが、そこは平にご容赦願います。





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≪カウンセリングと(1)身上相談(2)コンサルテーションの相違点、特色について述べよ≫


 筑波大学の教授で、日本カウンセリング学会の常任理事を

されている國分康孝先生は、カウンセリングをこう定義してお

られる。

「カウンセリングとは、言語的および非言語的コミュニケーショ

ンを通して行動の変容を試みる人間関係である」

 それに対して、身上相談を辞書で調べると

「人の一身上の事柄に関する打明話の相手となり、助言や忠

告などの意見を述べる事」

 また、大学のテキストにはコンサルテーションに関して、

このように書いてある。

「心理臨床の専門家が、問題を抱えている当人に対し、直接

は係わらず、当人に係わっている人や集団と共に、その問題

に対する取り組み方が肯定的かつ積極的にと、人や集団が

変化するようにサポートしていく事である。その際に専門家は

人や集団に対し、決して、批判したり非難してはならない」

 これらの事を、私なりの勝手な解釈をさせてもらうと、こう謂

う事だと思う。つまりカウンセリングとは「カウンセラーが、

言葉や表情および身振りで、クライアントの心に語りかける事

によって、クライアント自身が気づきや自己洞察を体験し、

真の自己を解放して行く過程である」

 そして、身上相談とは

「人生に行き詰まった人の話を一所懸命に聴き、疑問に答

え、アドバイスをする事で、相談者の人生の方向を修正し

ようとする事である」
 
 また、コンサルテーションとは

「問題を抱えている本人ではなく、その周辺にいる人達に対

して専門家が助言・指導をし、なおかつ一緒になって考える

ことによって、周辺にいる人達にやる気を起こさせて、

本気で問題を解決するように努力させる事である」

というように理解しましたが、如何なものでしょうか。










カウンセリング心理学入門
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教育者、それとも、兇育者? D

2006/05/10 03:46
空がどんよりとした重そうな雲に覆われていて、前日降った雨のせいか、妙に湿っぽい空気の流れの中での、その日の早朝巡回は、いつもとはどこか様子が違っていた。

何がどう違うのかと訊かれても、それをはっきりと、このように違うのだと答える事はできないのだが、明らかに普段の早朝巡回とは何かが違っていた。

いつもの様に、誰もいない職員室内の既定の場所から、校舎内の主要箇所を解錠する為の鍵束を手に取り、これもまた、いつも通りに校舎の外周から巡回に廻った。

正門及び裏門を開いた為か、早くから登校してきた生徒らしき二人組みと目線があわさる。生徒らしきというのは、二人が着ている服が、私の目から見る限り、どう見ても制服には見えないからである。

やや背の小さい方の生徒が、薄ら笑いを浮かべた表情とやけに馴れ馴れしい口調で、私に話し掛けて来た。話の内容としては、職員室のある1号棟から、1年生の校舎となる4号棟に繋がっている渡り廊下の、1号棟側の鍵を開けて欲しいとの事。

その扉の鍵は内側から開ける為、外側からは開けない事を説明して、外周回りを終えてから校舎内を回った時に、解錠する旨を伝える。

説明した直後に、その生徒の表情は、先程までの作り笑いの表情から一転して、能面へと変化していた。そして、目線をあらぬ方へ向けてから、猫が相手を敵と判断したときにとるように、完全に私から視線を逸らしていた。

時間に追われている早朝巡回のため、これ以上は相手もしておられず、二人をそのままにして外周廻りを急ぎ、1号棟職員室前の玄関から校舎内へと入り、4号棟に繋がる渡り廊下の鍵を開ける。

引戸となる、その扉を開いて真下へ目線を向けた時に、一瞬驚かされた。先程の二人が、渡り廊下の石畳の上に、縦に並んだ形で寝そべっていた為であった。

彼らを踏まないように避けながら、4号棟、3号棟、2号棟の各棟を、侵入形跡がないかの確認をしながら解錠して回り、1号棟へと戻る。

全ての作業を終えた為、職員室に戻るべく扉に手を掛けた。なにげなく真横を振り向いたところ、先程からの二人が、ゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる。それも、二人とも明らかに土足の様子で、廊下の上を靴底に付いた泥で汚しながら、こちらへ向かって歩いている。

警備会社の方からは、くれぐれも中学生とは問題を起こさないようにとの厳重な注意を受けてはいたが、こればかりは普段は大人しい私にも我慢がならなかった。

彼らの所まで早足で進み、二人の履物が上履きではない事を確認したのち、出来るだけ言葉を選んでやさしく注意をしようと試みた。

その刹那だった。二人の内の小さいほうの生徒が、直ぐそばの階段を一気に駆け上って、十五段ほどの高い位置から私を見下ろし、校舎全体に響き渡るような馬鹿でかい声で、それこそ、ヤクザまがいに啖呵を切って来た。

威嚇のために体を震わせる姿は、とても中学生とは思えないものがあったが、以前に副校長から言われたように、名前だけは確認しておこうと思い、階段上に向かって、その生徒の名前を問い質した。

すぐさま、自分は○○と言って、この学校では、誰一人として知らないものがいない、との烈しい口調での啖呵が返ってきた。

もう一人の生徒の名前も訊いてメモを取り、学校側に二人の名前を知らせる旨を伝えたが、先程以上に、より激しい口調となって、私や学校に対して様々な言葉で罵倒を繰り返した。

これ以上は私の干渉出来る領域ではないとの判断から、彼らを後にして職員室に入り、いつもの様に、余計と思える内容の記入は極力控えての(つまり、二人の生徒の事には一切を触れずに)日誌を書き上げてから、職員室の扉に施錠をして、小学校の巡回警備へと向かった。

何とか時間までに、予定の巡回を全て終わらせたところで、自宅へ戻り、素早く着替えた後に家電メーカーへの出勤を急いだ。

昼間の仕事を終えて、帰宅後すぐに警備服に着替えて、今度は夜間の巡回警備へと廻る。

受持ちの小学校2校の巡回を終えてから中学校へ向かう。中学校でもいつも通りの巡回と施錠を終えて職員室へ戻る。

職員室の扉を開けると、林副校長がご自身の席に座っている姿が目に入った。

早朝の件を伝えねばならないと思い、間近まで歩み寄ってから、早朝巡回時の、二人の生徒の話を簡略に伝える。初めは普通に頷いていた所が、肝心の二人の名前を伝えた途端、急激に険しい表情へと変わり、威嚇するような眼つきで、私を睨みながら、何年生の○○と○○なのかと尋ねてきた。

二人ともそれぞれに兄弟がいて、これが四人が四人とも、実に手こずらされている問題児だということを私に伝えたあと、舌打ちをしながら、私から視線を逸らした状態で、二人には充分注意をしておくと、口篭る様に述べられた。

その時、近くに座っていた教員T島の眼つきが、異常な迄に鋭くなっていたのを今でもよく覚えている。

次の日、何事もなく早朝巡回を終えて自宅に戻り、その日は家電メーカーの仕事が公休日だった為、そのままベッドへと入り、思いっきり惰眠を貪ることにした。

たしか、その日の午後3時を少し過ぎた時間だったと思うが、厭きれるほどに何度も繰返された携帯電話の呼出音で、非常に不快感の伴う目覚めを迎えさせられた。

警備本部からの緊急連絡で、学校で問題が発生した為、本日の夜間巡回は休止になったと伝えられる。さらに、今夜8時に必ず警備本部まで出頭するようにと命じられる。

その時は、そこで何が待ち受けているのかなどという事は全く気にしておらず、入社以来の警備本部への出頭との思いで、多少は気を使っていたのか、久しぶりにスーツを着ることにした。風呂にもゆっくりと浸かり、身ぎれいにした上で、警備本部のある建物へと車をとばした。





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学校の中の事件と犯罪〈2〉1986~2001
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教育者、それとも、兇育者? C

2006/05/01 18:05
ある日の夜間巡回。
その日、十数台の小型バイクに、この中学校の職員室側の玄関口は殆んど塞がれていた。
職員室に土足で乗り込み、ひたすら大声で喚き散らす、ダボダボの私服を着ている生徒たち。
無言でそれを見ているだけの、烏合の衆とも思えるような大勢の教員たち。
着席したままで、決して自身の机から視線を外そうとしない副校長。
無抵抗に生徒たちを宥め賺して、機嫌を伺う男性教師たち。

別の日の夜間巡回。
職員室前に数人の生徒と二人の教師。
「どうしたら、君たちは私たちの言うことを聞いてくれるんだ」
「お前らが、俺らのこと舐めてっからじゃねえか! 」
こんな会話が、私の巡回の間、延々と学校中に響いていた。

また別の日の夜間巡回。
複数の教室の窓ガラスが破壊されている。
ため息を吐きながら、全身汗まみれでの修理作業中に、私に愚痴を溢すガラス店の職人。
「ハァッ、こんなにしょっちゅう窓ガラスが割られる中学校なんて、わたしゃあ初めてですよ」

ある日の早朝巡回。
購買部前に散乱するゴミの中に、女性用のフリル付きショーツ。
なんとなく気になったので、早めに出勤した教師にその旨を伝えたところ、こちらの顔色を窺うように、外部から入って来た侵入者の仕業に間違いないと言い張る。
私の方からは何ひとつとして訊いてもいないのに、しつこい迄に言い訳を続ける。
どんなに鈍い人間でも、その場所で、何かが起こった事が分かるように。

別の日の早朝巡回。
グラウンドいっぱいに石灰で描かれた、男なら誰でも知っている、巨大な女性自身のデフォルメ。
私の顔色を窺いながらも、汗だくとなり、必死に石灰を掃き散らし、さらに水を撒いている林副校長。
登校したばかりの教員の態度からは、教育委員会には絶対に知らせないで欲しいとの、無言の圧力が掛けられる。

また別の日の早朝巡回。
コンクリート片がそこら中にへばり付いて烈しく歪んだ金属バットが放置された脇に散乱する、引き千切られた無修正の猥褻本が数冊。
その旨を報告した時の教師T島の態度は、今思い返しても、不快感が甦るようなものだった。
まるで、私が第一発見者になったことが、非常に不愉快であることと感じ取らせるような、陰湿で威嚇を思わせる眼つきと口調であった。
 
(警備日誌に書き記すことができなかった出来事の内の、ほんの一部)





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以下は、前々回に掲示した小説の続きです。
何故、未完に終わってしまったかは、いまさらに説明しなくとも、この項の全体を読んで頂いている方々には理解して貰えるかと思います。

                   
                    ≪(仮題)ユニゾン、或いはトゥッティ≫

                               【第一章】

                               第2節 邂逅



 翌日の放課後、体育館のコートに立った淑枝は、昨日までの彼女とは全くの別人と思

えるような雰囲気を醸し出していた。

 その日までの淑枝は、自分に対してはあくまでも厳しく、どんな小さな妥協も、わずか

な甘えも決して許さないで練習に打ち込んできた。しかし、他の部員たちに対しては常

に寛容で、思いやりと優しさの心配りを忘れずに、不器用な部員でも打てるような易しい

トスをあげて、ミスして打ち損ねたとしてもそれを許容し、気にするなと声をかけていた。

 まだ自分は一年生なのだから後輩としての立場をわきまえて、技術も低く能力も劣る

先輩たちのレベルを考慮した上で、セッターとして出来うる限りの采配を振るえるように

努力してきたのだ。

 だが、そんな面影など微塵も無く、この日の淑枝は違っていた。アタックをかける部員

がぎりぎり間に合うかどうかの位置に鋭く厳しいトスを打ち上げ続けた。そして、それを

幾度も繰り返す中で、スピードについて行くことができない部員たちのミスが続出した。

 それを見た淑枝はミスしたものに対して、その部員がたとえ先輩であろうとも、険しい

面持ちで力強い声を張り上げて、叱咤するのだった。

 周りの部員たちの誰もが淑枝の異変を察知した。あるものは怪訝な表情を浮かべ、

別のものは困惑の態度をとり、そしてまた、不快感をあらわにした面持ちで不平不満を

囁きだすものまで出てきた。

「淑枝っ」

 三年生が受験や就職に備えて引退した後を継いで新キャプテンに選ばれたばかりの

周藤香世子が、いつもと違う淑枝の態度を見かねて体育館の隅へ行くようにと促した。

他の部員たちに練習を続けるように指示したのち、淑枝のいる場所へと向かった。

「どうしたのよ。今日の淑枝はどこか変だぞ。何かあったの」

諭すような口調で周藤は語り掛けた。

 周藤の語り掛けに対して、初めはただ黙ったまま床を見つめていた淑枝だったが、

意を決したように、きっとした眼差しをおもむろに上げて、やや強い語調で返答を始め

た。

「周藤さん。周藤さんこそどう思いますか」    

「どう思うかって、何が」

淑枝の質問に対して妙な戸惑いを覚えた周藤は聞き返した。

「練習のやり方です」

より強い口調で淑枝は答えた。

「淑枝は不満なのか」

「周藤さん… 全国大会に行けると思いますか。こんな練習で」

「全国。うーん、淑枝はそこまで考えてバレーをしてるんだ。そりゃあ、行けるに越した事

はないけど」

「周藤さんは何の為にバレーをしてるんですか」

「何の為って。好きだからに決まってるじゃない」

「私もそうです。だったら何故、もっと本気でバレーに打ち込まないんですか」

「本気でって、今までだって本気でやってるつもりだし、他の部員たちだって、そう、それ

なりに頑張っていると思うし」

「本当にそう思うんですか」

「淑枝、少しあせりすぎじゃないのか」

「インターハイは予選落ち、国体も出られず。周藤さんは悔しくないんですか。私は、心

の底から悔しいです」

「そりゃあ、あんたぐらいの実力があれば当然そう思う気持ちはわかるけど、他の部員

たちのレベルを考えたら、しょうが無いんじゃない」

「しょうが無い、しょうが無いって、そんなことばかり言っていたら、いつまで経ってもレベ

ルアップなんて出来っこ無いです」

「だからって、いきなりあんなクイック・トスを上げても、打てる訳が無いじゃないの」

「………」

「淑枝。周りに合わせることも大切なこと。いくら淑枝の実力が抜きん出ていたって、他

の部員が着いて来られなかったら意味がないでしょ。バレーで一番大切なのはチーム

ワークだってことなのよ」

「周藤さんは本気じゃないんです。本気でバレーが好きだったら、絶対に困難を言い訳

には使いません。他の人間が着いて来られないからとか、チームワークが一番大切だ

とか言うのはおかしいです。着いて来られないなら着いて来られるような練習メニューを

組み立てて行けば良いし、そうした練習の中で苦しんで、悩んで、励まし合ってこそチー

ムワークが出来るんじゃないんですか」

「これ以上話しても切りがなさそうね。あんた今日は帰りなさい。帰って少し頭を冷やし

てから考えるのね。自分ひとりではバレーは出来ないってことを、それとも、いっそのこ

とテニスかバドミントンにでも鞍替えしてみる。それなら一人でだって出来るからね」



 制服に着替えた淑枝は、激しい憤りを堪える事が出来ないまま真直ぐに職員室のあ

る一号棟校舎へと向かった。

 些かも戸惑うことなく職員室の扉を真横へと引いた。

 入口からやや右前方の机で、ヘッドホンを両手で押さえ付け、眉間にしわを寄せた鬼

気迫るような険しい表情の中、食い入るような視線を眼前の唯一点に留めて、他の何も

のをも拒絶する雰囲気を醸し出した女性教師を、淑枝の視線が捉えた。

 今春、広島から転任して来た先生で、入学後、初めての朝礼で紹介されていた事を、

また、珍しいことに淑枝よりもずっと小柄な体躯だったこともあり、何となくではあったが

覚えていた。

 部屋の奥へと視線を移し、目的とした人物を発見するや否や、その場所へと一直線に

歩を進めた。

「先生… お話したい事があるんですけど」

「んっ、宮下じゃないか。どうした。今日は部活は休みか?」

「あの… 」

「何だ、何かあったのか?」

「バレー部の事なんですけど… 」

「言いたい事があるなら速く言え、俺も忙しいんでな」


                                
                                以上、未完










学校の中の事件と犯罪〈1〉1945~1985
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教育者、それとも、兇育者? B

2006/04/28 17:22
いつものように小学校での夕方の巡回と施錠を終えて、職員室に戻って来た時だった。
 
一般教員たちの殆んど全員が退庁して、残っている副校長とその補佐役の主任教師が、回りも気にせず口角泡を飛ばし、私の担当しているT中学校で起こった、ほんの数日前の事件について議論していた。
 
それは、一人の女生徒が、数十人の男子生徒に輪姦された事件に対して、T中学校の責任者がおこなった、その女生徒と、彼女の保護者への対応に関するものだった。
 
この事が公にでもなればT中学だけでは無く、その地区全体の問題として、週刊誌のネタとなり社会問題にもなりかねない故の、止むを得ない対応である事は、小学校教員である二人ではあっても、ある程度は理解しているようであった。
 
実際、何年か前に、この地区の別の中学校で起こった事件。女性美術教師が数人の生徒たちによって輪姦された事件での中学校側の対応は、その女性教師の側に隙があったとして、彼女の依願退職というかたちで事件を収拾させ、問題を起こした生徒たちとその保護者に対しては、厳重注意と口止めだけの軽い処分になったということを、事件当時その中学校に在学していた知人のから、だいぶ以前に聞かされていた。

その話をした時のの、心底から悔しそうな表情と、「いい先生だったのに… 」と呟いた悲しげな声が、余りにも印象的だったせいか、まるで昨日のことのようによく覚えている。
 
今回の事件に対しても全く同様で、何とか公にならないようにと、その女生徒と保護者に対し、警察などへ訴え出ないようにと言いくるめた内容に関しての、T中学校に対する不満や侮蔑を、まるで私にも話を聴いて欲しいが如くに大声で述べあっている。
 
告訴しない事が、その女生徒の将来の為でもあるとか、週刊誌の餌食になるとか、反省している男子生徒たちの将来も考慮して欲しいとかで、訴え出ること自体が、まるで犯罪でもあるかのように強引に説得したらしい。

「学校側が、そんな理不尽な事をしてもいいんですか! ひど過ぎる! 完全に、被害者となった女の子の泣き寝入りじゃないですか!! 」

主任教師が叫ぶように、副校長に訴え掛けていた言葉が、今でも私の耳に焼き付いている。





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                         ≪投函されなかった手紙≫



冠省

日毎に寒さが募り、早朝からの学校への通勤もさぞや辛いものと感じられていることと

存じます。



このたび私の不徳の致すところで林副校長先生に於かれましては多分に不愉快な思

いをされた事と心より深くお詫び申し上げます。



八ヶ月という僅かな月日ではございましたが、先生に出会いその日々の行状から学ば

せて頂いたものは実に数多くございましたことをここに感謝致します。



常に埃っぽく不潔感の漂っていた校舎内の隅々までが、日々に清潔な雰囲気へと変容

していく過程は、私に非常な驚きを与えました。

あれほどだらしなかった戸締りに至っても、よく此処まで深く浸透させることが出来るも

のかと大変に感服いたしました。

組織というものは指導者が変わることで多事に渡って大きな変貌を遂げるということを

切に理解させて頂きました。



此度のこと私個人にとりましては本当に驚天動地そのものでした。

昼間の仕事が公休日のため部屋でのんびり寛いでいたところへ、警備本部から掛かっ

て来た電話での突然の巡回休止通告に続き、夜は本部事務所に呼出され、常務以下、

各責任者からのこの事実に関する様々な角度からの事情聴取、市教育委員会からの

契約を打ち切られないための対応策の検討。



尋問は深夜まで続き、証拠書類の提出及びIDカードと受持ち校の鍵を返還し、翌朝に

代表者が市教育委員会に出頭するまでの時間内に、事の一部始終に至る経緯を全

て書き記した顛末書を作成するよう命じられる。



帰宅後、すぐにパソコンに向かい午前9時過ぎ迄かけて、そこに至るまでの経緯を、数

年前まで回想しながら書き綴り、完成後は推敲する間もなく本部事務所へと直行。

責任者による内容確認に一時間。

卒論以来、手掛けていない長文であるにもかかわらず、代表取締役の名前以外に修正

の必要な部分はは見あたらないとの判断。



代表者が市教育委員会へ向かう時間となり取り敢えずの自宅待機を言い渡される。

家に辿り着いた時にはすでに正午近くになっていました。

三十時間以上眠っていないにも拘らず、全くに睡魔は襲って来ませんでした。



幾許かの時が流れた後に、突然、胸から込み上げてくる激しい情動が嗚咽となって口

腔から漏れ始め、つぎの瞬間にそれは全身を震わせての慟哭というかたちを現しまし

た。

双眸から溢れ出る涙は、これまで私が経験したことの無い、つらさと悔しさを滲ませてい

ました。



事務所の一室に於いて各責任者達から数十回に及ぶまで、私に向かって放たれた一

つの単語が意識全体を占領し、それがこだまとなって無限とも感じられる時間の中で

響き渡って行きました。



『セ・ク・ハ・ラ』

この時まで私には絶対に縁の無いものと確信していた言葉。

その言葉に何故これほどまで苦しめられなければならないのか。

いくら考えてもその答えは見つかりませんでした。

その翌日も、またその翌日にも、この暗然とした感情は時も場所もわきまえずに幾度と

なく私を捕えました。



通勤電車の中でも、端末操作中にも、休憩室で休んでいる時にも。周囲の社員たちに

は、絶対に感付かれないようにと静かに席を外して、うつむき加減でトイレに向かい、

扉を閉めると同時に誰にも聞かれないようにと両手で口を押えて号泣しました。

涙が枯れるというのは本当の事だと理解するまで、この状態は続いて行きました。



私が藤先生に対して、いったい何をしたというのでしょうか。

貴校の担当を任された当初から親切にして頂いた心のあたたかい方として、一年のほ

とんどを学校で過ごされる真摯で直向きな教職者として、手の掛かりそうな生徒の相談

をまるで母親であるかのように優しく力強く受け止めている相談者としてなどの、様々な

場面と出会う内に、教育者、指導者、そしてキャリア・カウンセラーという三位一体の教

員姿に、いつしか理想に近い教師像として尊敬の感情を懐かざるを得ませんでした。



その感情が、あたかも自分が生徒の一人であるかの如くの錯覚に陥らされることすら、

度々とありました。



しかし、林副校長先生もご存知のように、藤先生は、お世辞にも美人とは言い難い

容貌の女性です。



それに比べまして、私はこれまでに、こと容姿に関してだけを述べれば、過去から現在

に掛けて実に多くの方々から褒めそやされ羨ましがられて来ました。実際にそれを利用

して数多くの女性たちを、生活の糧とした時期もありました。



今だから言いますが、相手によっては、億を超える資産を散財させることになっても、

何の良心の呵責すら感じることはありませんでした。



その当時の私は、女性に尽くされるということ自体が、実にごく日常的で自然なことであ

るという意識の中で、それこそ無為な日々を恣意的に過ごしておりました。



だが、一人の人間として見られた場合の、内面的で本質的なものに関してとなると、常

に誤解と偏見と、侮蔑にも似た見下しの感情を向けられることが実に多く、分かる奴に

だけ分かればいい、分からない奴は無視すればいいのだと思うことで自分自身を常に

誤魔化して来ました。



そんな風にいじけた心を持った私の内なるものを、生まれて初めて認めてもらい、嘆賞

して頂ける方と出会う事が出来たのは、今年の始めでした。



「筆力はやはりたいしたもので、実に説得力のある文章です。ぜひ貴方は著述の道を

選ばれるといい、無力な書房ですが、お役に立つことがあれば協力いたします」



こうした福祉系出版社の編集責任者の勧めで、漸くに執筆活動を手掛けようとした決心

が、こんなにも理不尽な形で頓挫してしまうのは、本当に残念な事と言うしかありませ

ん。



所詮、私如き今までにさんざん自堕落な生き方しかしてこなかった者が、いくら出版社

の編集責任者の勧めとはいえ、貴校を舞台とした障害者の為の感動巨編を構想したこ

と自体が、宇宙を創造したとされる絶対的な存在の逆鱗に触れたのかも知れません。



これから寒さのつらい日々が、しばらくは続くと思われますが、決して無理などはせず、

お体には充分に思いやりを持って、毎日を過ごして下さいます様にと、お祈りいたしま

す。



                                              草々




(この手紙を投函しようと思った時、すでに林副校長は、赴任して1年にも経たない内に、まるで、何かから逃げだすかの如く、他校へと転勤してしまった。また、このT中学校のオフィシャルサイトでは、過去に勤務していた教員たち全員の転勤先が必ず表示されていたが、この副校長が赴任した筈の中学校の名前だけは、ほんの僅かのあいだ表示してあっただけで、間もなく削除されてしまった)










仁保事件・その風化を許すまじ―学生による冤罪研究
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教育者、それとも、兇育者? A

2006/04/25 01:50
本当にこの人間が教師なのかと、我と我が目、我が耳を疑う教員も少なからずにいた。

この地区の中学生達の非行化は、前々から聞いてはいたが、問題の根底にあるのは生徒側だけにあるのでは無い事を実感させられる雰囲気を、この教員達は充分以上に携えていた。

また、この中学校では、トップに校長、次に副校長、そして一般教員たちを指揮する、中間的な立場の教師主任とでも言うべき役職を持つものがいたが、初めてその人間にあったときは実に愕かされた。

まるで新宿歌舞伎町を徘徊している、胡散臭さをぷんぷんと匂わせている不逞の輩たちと、なんら変わらない面持ちで私の顔色を窺っていた。一警備員でしかない私の顔色をだ。

この中学校を担当して何ヶ月か経った頃に、この教師主任山は、夜間巡回の為に職員室へ入った私に対して、いきなり怒声を浴びせかけてきた。

見ると職員室内に残っているのは、その教師以外には、電話を架けている女性教師が一人いるだけだった。

校舎内は教師全員で責任を持って施錠してあるので、今日は何もしなくていいから、さっさと帰れ、との教師にあるまじき乱暴な発言であった。

怒りを抑えながら、すぐさま警備本部に電話報告で、その旨を伝えて、対応を確認する。

本部からの回答は、巡回警備員は、学校側に雇用されているのでは無く、あくまで、市教育委員会に警備を依頼されているのであり、そのような乱暴な発言は一切を無視して構わないとの事。

警備本部からの回答をその教師に伝えたところ、こんどは先程とは打って変わったように、腐った魚のような目をして薄ら笑いを浮かべながらの慇懃な態度へと変貌した。

いつも通りに巡回を終えたところ、未施錠箇所は30箇所以上もあった。一体全体、どこが教師たち全員で責任を持って施錠したのだろうか。

後から考えてみると、この教師は、その時に電話を架けていた女性教師に対して、自分の存在を誇示させようとしたのかもしれない。権力を持ったモテナイ男がよく使う手だが、何故、こんな最低とも感じられる行動を取るような人間が、教師主任的な立場になれるのか、未だ不思議に思えてならない。

その後も、この中学校では様々な事が起こった。迷路のような校舎内を夜間巡回中に、全ての電気を消されて、真っ暗闇の教室や廊下を、懐中電灯一本で巡回警備させられたことは、一度や二度などでは無かった。

小学校の巡回では閉め忘れの窓や、未施錠の鍵は、ほんの数えるほどでしかなかったが、この中学校では、よい時でも数十箇所で、百箇所を超えることなど当たり前という状態であった。

また、私が卒業した中学校とは、全く比較にならない位に、廊下や階段などが薄汚れた感じに煤けていて、これで生徒たちが毎日掃除をしているようには、とてもではないが思うことは出来なかった。





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この頃に、ある人の勧めで書き始めた、障害者と健常者の共生をテーマとした小説を、以下に掲示します。


                    ≪(仮題)ユニゾン、或いはトゥッティ≫  

                                【第一章】                                      
                                第1節 開眼
                                           
      
 
 フロント・ライトの位置から一メートル近くもの跳躍をして、淑枝は自分の身長よりも

三十センチ以上もの上背がある選手のブロード・アタックを、両腕で押さえつけるような

ブロックで返し、ものの見事に、相手チームのコート中央へと叩きつけた。

 大歓声が淑枝をつつみこんだ。

 彼女の高校が全国大会に初出場するためのチケットを、今、この瞬間に、淑枝は自

分の両手で掴みきったのだ。

 この日の為に彼女は、血の滲むようなどころか、肉を痛めつけ、骨をも軋ませるぐら

いの練習を積み重ねてきた。それこそ、数え切れないくらいの全ての努力と忍耐が報わ

れた瞬間であった。

 小学生の頃から憧れ続けてきたバレーボールの選手。オリンピック中継をテレビで見

たその時から、自分もいつの日かその場所に立ちたいと思い続けてきた。

 周りの心ない子供達から 

「お前みたいなチビがバレーなんて、ぜったい無理に決まってんじゃん」

などと悪態をつかれたこともあった。

 何度も何度も諦めかけたが、今はまだ小さいけれど、きっと大人になったら背丈も高く

なると信じて、中学校へ入学するとすぐにバレー部の門を叩いた。

 十二歳にして百三十センチにも満たない身長の彼女を見た顧問は、溜め息にも似た

息を吐きながら、まあ、どうせ長続きはしないだろうという表情で淑枝の名前をノートに

記帳した。

 初めは練習についていくだけでも精一杯であったが、生来の負けん気の強さに加え

て、日に日に根性も身に付けていった。

 学校ばかりではなく家でも、腹筋、背筋、腕立て、屈伸などの運動を一日とて欠かした

事はなく、部屋自体も、女の子の部屋とはとても思えないような雰囲気で、ダンベル等

の筋力トレーニング用具があちらこちらに転がっていた。

 小さい体というハンディを克服する為にと、ジャンプ力を身に付けるトレーニングも

様々な方法を試した。鉛入りのシューズを履いて縄跳びをするなどの、無茶とも思える

ようなことまで繰り返した。

 三年の月日が流れて、中学校を卒業する頃には、筋肉質でがっしりとした体格の、

いかにもスポーツウーマンといった風体の少女へと成長していた。

 身長もいくらかは伸びて百五十センチは越えることが出来た。それどころか、県下の

中学バレー界では誰一人として彼女を知らない者はいなくなっていた。最強のセッター

と呼ばれることも小さな巨人と呼ばれることもあったが、女の子にとってはあまり嬉しく

ない名称、化け物と呼ぶ人間も少なからずにいた。

 様々な高校バレーの名門私立高校からスカウトが尋ねて来て、入学金も月謝も免除

の特待生として迎えたいとの話を持って来たが、敢えて彼女は、家からそう遠く離れて

いない公立の高校へと進学することにした。

 バレー部に入部するや否や、他の新入部員たちとは全く扱いが違っていた。

 どんなに中学校で三年間バレーに打ち込んで来たといっても、高校生とでは体力面に

大きな差がでるのが当たり前である。新入部員たちの中には中学校で関東大会にまで

出場した者までいたのだが、やはり高校生とくらべると相当に見劣りをしてしまう。

 しかし、淑枝のそれは桁が違っていた。強靭な下半身に加えて、柔軟さと持久力も備

えていた。新入部員の誰よりも小さい筈の淑枝が、他の部員達を遥かに凌ぐ、大きな姿

に見えてくる錯覚すら覚えるような感もあった。

 持久力面でも運動能力面でも、身体能力における淑枝は、誰が何と言おうと紛れもな

く化け物であった。入部してわずか二ヶ月後には、三年生の部員からセッターのレギュ

ラーポジションを奪い取っていた。

 正確無比なオーバーハンド・トスでも、唸りを上げて鋭く相手コートに突き刺さるジャン

ピング・サーブでも、跳躍した全身を床に叩きつけながら喰らいつくように拾うフライン

グ・レシーブでも、淑枝にかなうものは誰一人としていなかったのだから当然といえば当

然かも知れない。 

 季節が春から夏へと装いを替えた頃には、チームは完全に淑枝を中心として機能す

るようになっていた。

 ミュンヘンオリンピックで男子バレーに金メダルをもたらした松平康隆監督が残した言

葉に

「バレーボールをオーケストラに例えれば、セッターはコンダクターであって、演奏者で

ある他の選手たちを、指先一つで自在に指揮していかなければならない存在である」

というものがあるが、実際、セッターはコートに立つ六人の中に於いて、最も頭脳と判断

力を必要とされる重要で繊細なポジションであった。

 淑枝は、いつかはオリンピックのコートで縦横無尽に活躍する自分の姿を夢見て、作

戦研究すらも怠らなかった。AクイックにBクイック、これをバックトスから行なうCクイッ

クとDクイック、そして、時間差などのフォーメーションアタック。それらをどう組み合わせ

れば最も有効に攻撃できるのか、ほんの一瞬の判断ミスで決まるものも決まらなくなっ

てしまう。

 世界の一流セッターたちの采配を、繰り返しビデオで見て研究もした。

 凄いと思った選手のトスワークは必ず試してみた。天才と呼ばれる南米の選手の両手

からくりだされる平行トスを見て、呆然とさせられたこともあった。

 トスされたボールがまるで空中で静止しているように見えた。淑枝の視覚がそう捉える

ほどに、どんな不器用なアタッカーでも最高の力を出し切るためのギリギリの位置で止

まっているように見えたのだ。

 負けん気の強い淑枝は、それを自分のものにしてみたいと試してみた。しかし、数週

間後には、微妙な指先の力加減が必要とされるその技術を修得するためには、持って

生まれた才能というものが必要不可欠であるということを、情けないまでに厳しく理解さ

せられていた。

 天才と凡人の差というものを、厭というほどに全身で理解させられていたのだ。

 心の底から悔しかった。同じ人間なのに、彼女に容易くできることが自分には全く出来

ない。自分より何十センチもの高い身長を持っている上に、あれほどの精密で華麗な技

術を身に付けている。宇宙を創造したとされる絶対的な存在を恨む以外にはどうしよう

もなく、情けない気持ちで虚脱感につつまれて行くだけだった。

 所詮、自分なんか世界を目指しても通用するような人間じゃ無いんだと、捨て鉢な気

持ちにもさせられていた。

 その日の夜は、何もする気が起こらずにごろんと横になった状態でテレビを点けた。

海外のサッカー中継を放送している。平生から淑枝は、彼女が打ち込んでいるバレー

ボール以外のスポーツを見るのも好きで、その中でもサッカーは一番のお気に入りで

あった。

 一人の日本人選手を淑枝の視線が捉えた。

 小幡誠二。少年の頃より天才と呼ばれていて、司令塔として参加したワールドユース

では、その非凡な活躍により日本チームは決勝戦まで駒を進めた。そればかりか、わ

ずか十七歳にしてワールドカップの代表にまで選ばれ、十八歳にしてピッチに立った男

だ。

 この男の足から繰り出されるパスをヨーロッパでは、そのあまりにソフトなタッチから、

ベルベット・パスと呼ばれている。

 相手チームの選手の間はするどく潜り抜けるが、味方チームの選手の前ではまるで

止まっているようにスローな動きに見えた。

 世界でも真似の出来る選手はまずいないだろうと云われている小幡の得意技の一つ

であった。

 淑枝は思わず体を起こして、画面を凝視した。

 同じだった。あの天才セッターが繰出すトスと、サッカーとバレーの違いはあったが、

相手選手は惑わしても、味方選手には容易く扱えるやさしいボールであるという意味

では、全くに同じだった。

 やはり、こんな技は天才たちにのみ許される特別なものなのだという厳しい現実を、

悲しいまでに実感させられるだけだった。

 自分は絶対に小幡選手にはなれない。どんなに努力しても人間のもつ能力は違って

いて、自分の限界まで力を出し切ったところで、出来ることと出来ないことがある。まざ

まざとそれを理解させられていくにしたがい、その中継を見ることに耐えきれなくなって

テレビのチャンネルを切り換えた。

 偶然に、別のチャンネルでも海外のサッカー中継を放送していて、そこでも日本人選

手が活躍していた。

 小幡とは全く違ったタイプの選手であった。同じミッドフィルダーと言うポジションにあっ

ても、こうも違うものなのかと淑枝は思った。 

 小幡のように一カ所に視点をおいて華麗にボールを操り、自在に動き回りながらあら

ゆる方向へパスを送りだすのではなく、常に全体を見回して、場面場面での敵と味方の

位置をしっかりと確認したうえで、味方であっても捕れるか捕れないかのギリギリの地点

へ、鋭くも強烈なパスを蹴り込む。

 このパスこそが、キラー・パスと呼ばれて多くの選手たちに恐れられているものだ。相

手の選手ばかりか、味方の選手さえも殺しかねない諸刃の剣という意味のネーミングで

ある。

 しばらく画面を凝視していた淑枝の意識の中で、なにか氷の塊のような物が一瞬で溶

解するような感覚が通り過ぎた。

 その刹那、それまでの深い落ち込みから抜け出て、いつもの自信に満ち溢れた淑枝

の表情に戻っていた。そして、自分は、なんて馬鹿だったんだろうと思った。

 人間には、人それぞれに出来る事と出来ない事がある。自分は天才ではないから小

幡選手には絶対になれない。だけど、この選手にならば、なることができる。

 里崎英一。ピッチの内側でも外側でも常に戦い続けて来た男。四面楚歌になっても決

して挫けない男。たとえ相手が尊敬すべき熟練の選手であっても、自分の言うべきこと

を胸にしまうような事なかれ主義的な考え方を忌み嫌う男だ。

 自分もそうだったんじゃないか。誰に何と思われようと、どんなに陰口を叩かれようと、

大好きなバレーを、それこそ必死の思いで続けて来たんじゃないか。戦ってきたんじゃ

ないか。

 私はチビだ。チビで悪いか。チビがバレーをしてはいけないのか。チビだからこそ誰よ

りも高く跳ぶための努力をして、誰よりも速く動けるようにと気力を絞り、誰よりも強く頑

丈な身体を作るための忍耐を何年間も続けてきたんだ。

 そうだ、自分は、自分に出来ることをすればいいのだ。あの天才セッターのように、

緻密で華麗で繊細なトスを上げることはできないが、ともすれば味方のミスを誘うことも

あるけれど、他の誰よりも素早く正確に鋭いトスを上げることが出来るではないか。

 トスだけではない。自分には、常にエースを狙える厳しく強烈なサーブ力も、全身をコ

ートに叩きつけながらでもボールに喰らいつき拾えるレシーブ力もある。

 そして、もっと大切な一点に淑枝は気がついた。

 里崎選手と自分に共通している一番大切なこと。

 それは、強靭でありながらも柔軟な身体を持っているということ。つまりは、怪我をしな

いということだ。

 小幡選手はあれだけの優れた才能を持ちながらも、ここぞという時期に何度も怪我で

試合から遠のいている。その怪我の影響でオリンピックにも出られず、日韓ワールドカ

ップでもいま一つ活躍することが出来なかった。 

 それに比べて里崎選手はどうだ。彼が怪我や病気で試合に出られなかったなどという

話を、淑枝は聞いた記憶が無かった。

 オリンピックにも出ている。ワールドカップでも常にピッチ上にいて、ゴールまで決めて

いる。

 そうなんだ、これこそが自分の目指すべきものなのだ。

『無事これ名馬』という格言にもあるような、頑健で柔軟で俊敏な動きの出来る選手を目

指せばいいのだ。

 里崎選手が全日本サッカーの司令塔なら、自分は全日本女子バレーの司令塔になっ

てやる。敵の選手一人一人の位置と役割も、味方選手全員の配置とそれぞれの個性

や能力も瞬時に把握して、その時その時の自分に出来る最高の判断力で対応し、指示

を与えて、緩急自在なトスを送り込めばいいのだ。

 アタッカーが打てるか打てないかなんて全くとして気にすることなく、ひたすら無心に、

その瞬間、その位置からなら絶対に得点につながると思った空間へと、トスを打ち上げ

ればいいのだ。

 里崎選手が蹴り出すパスがキラー・パスなら、私の両手が弾き出すトスはキラー・トス

だ。敵にも味方にも厳しく鋭く、そして素早いトスを、アタッカーに合図した空間の唯一点

をめがけて、正確に打ち出せばいいのだ。

 ここにきて淑枝は、それこそが自分に出来る最良で最高の選択肢ではないかと深く納

得することで、落胆から生じた鬱屈の感情から、ようやくに解放されることができた。











教師の犯罪
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教育者、それとも、兇育者? @

2006/04/24 04:27
私は何年か前に、思うところがあって、近隣にある小中学校で、早朝と夜間の巡回警備の仕事に従事していた。

今思い出しても、非常に心身に応えるつらい仕事であった。

毎朝4時過ぎに起きたら、大急ぎで顔を洗って歯を磨き、きっちりと警備会社の制服を身に纏い、車かバイクを走らせ、受持ちの小中学校へ行って、誰もいない校舎・校庭を廻り、辺りに異状はないかを確認した後に、所定の出入口の解錠をおこなう。

日照時間の長い夏場ならまだいいが、寒風吹き荒ぶ暗闇の中を移動しなければならない冬場の巡回警備のきつさは、経験したもので無ければとうてい理解する事は出来ないだろう。
 
一校を終えると直ぐに次の学校を目指し、敏速に行動しながらも細心の注意を払って、受持ちとなった全ての学校の解錠を、きっちりと朝7時前には終わらせる。

家に戻ったら休む間もなく、当時の本業ともいえる家電メーカーの会社へ、満員電車に揺られながら出勤する。

会社から帰宅しても、お茶を飲む間も無く警備員の制服に着替えて、受持ちの学校へと、朝とは全くの逆周りに巡回する。

まだ、空が明るいうちに廻れる小学校の方はそれほどではないが、漆黒の闇に包まれた時間帯に廻らなければならない、市立中学校での夜間巡回警備の仕事では、1年の半分以上の期間が経過しても、なかなかに恐怖心を取り払うことが出来なかった。

静寂にも音があるのだ、ということを実感させられたのも、ほんの僅かな水滴の落ちる音が、とても長く広い廊下全体に響き渡るのを聴かされたのも、絶対にその場所に居る筈のない人間の姿を、漆黒の闇の向こう側に、はっきりと意識させられたのも、全てが生まれて初めての経験であった。

校舎内の夜間巡回で、全身に鳥肌を立てて冷や汗を流した回数が何百回だったか、それとも何千回だったかは、今は、もう憶えてはいないが、この仕事に従事している間とその後を加えた、二年以上もの期間に渡って、幼少の頃から大好きだった怪談ものやホラー映画のたぐいを観賞することが、全く出来なくなっていたのは、今でも、よく憶えている。

怪談映画の1シーンが、意識の片隅をほんの一瞬よぎっただけで、巡回警備員の立場を忘れて、その場所を逃げ出したくなるような衝動に襲われたこと。そんな恐怖心に囚われた思いを必死に振り払って、その場所に踏みとどまったこと。この仕事に慣れるまでのあいだは、こんなことが何度となく繰り返されていた。

本当に心身に応える上、驚くほどに低賃金の仕事であった。それでも、大したことは出来なくとも、少しは学校と子供たちを守るということに役立っているのではないかとの自負心や、自分の為だけではなく地域の為にとの、愛他的な使命感の支えもあったせいか、全身の疲れとは反比例して、心の中だけは常に充実していた。

小学校の先生方とは随分と親しくさせてもらい、何人もの先生方から、結構いろいろな話を聞かせて頂いた。

実に下らない世間話もあれば、お酒の話、スポーツの話、そして、教育の現場における様々な苦労話など、私にとっては本当に勉強になる話も、随分と聴かせて頂いた気がする。

しかし、この中学校に於いては、全くと言ってよいほどに、様相を異にしていた。

研修で、先輩警備員に付いて、校長・副校長への挨拶回りをした時から、なんとも言えない異様さを何気なしに感じてはいたが、やはり小学校とは違って、思春期という難しい年頃の生徒たちを教育し、さらに指導しなければならない、市立中学校という立場の教育機関なのだから、外部のものに対しては、より慎重な態度で警戒心を働かすのだろうぐらいに思っていた。

だが、一週間をこえる研修をようやくに終え、初めての単独巡回で、迷路のような夜間の校舎の巡回と、各出入口の施錠を終えて職員室に戻り、急ぎ日誌に記帳をして、先輩警備員に言われたとおりに職員室に残っている教員に対して引継ぎを依頼した時の、教員たちの態度と表情には驚かされた。

殆んど全員といってもいい先生方が、私の姿を一瞥しただけで、すぐに自分の机に視線を戻してしまった。なんとも言えない気詰り感の中で、数度もの復唱をおこない、近くに座っていた親切な女性教員に引継依頼を了承してもらえた時は、決して誇張などではなく、地獄に仏とはこの事かなと、思ったりもした。

一体全体この異様な空気は何なのかとの思いもあったが、下手に詮索して、気まずい雰囲気のなかで警備の仕事をおこなう訳にもいかず、深く考えるのはやめることにした。





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以下は、大学で教育学を受講していた時に宿題として提出したレポート課題です。


            【現代社会と教育:レポート課題】

《現代社会における教育の問題点を挙げ、解決する為には、

                    どうしたらよいかを論じよ》




「子供は、み〜んな天才である」

 誰が言ったかは忘れてしまったが、私の好きな言葉の一つ

である。

 現代の学校教育における基本的な教育方針の根底には、

子供の行動を規格化して、画一化された平均的な大人にす

る為の指導意図が働いているように思える。

 毒にも薬にも成れない種類の人間を量産する、流れ作業的

なものすら感じられる。

 教師や親に従順な子供は、素直で良い子と見られ、面白くも

無い授業を無抵抗に受け入れる子供は集中力と落ち着きを

持った真面目な子と解釈される。

 確かにこれらの考え方は一概に間違っているとは言えな

い。しかし、本当にそれだけで良いのだろうか。

 最近のテレビで放映していたが、現在、アメリカの教育界や

精神医学界で問題とされているものの一つに『ADHD』(注意

欠陥/多動性障害)と呼ばれるものがあるそうだ。

 幼児期や小児期から起こる精神疾患で、落ち着きが無く、

不注意で、他人を妨害するなどの衝動的な行動をとるのが

主な症状であるが、先頃の研究発表の席で、偉人とか天才

と呼ばれた人達の多くはこの『ADHD』ではないかとの説が

述べられ、多くの人達の賛同を得たそうだ。

 もしも、この考えが正しければ、人並みの社会生活を送るこ

とも困難だと言われるこの精神疾患でさえ、実に素晴らしい

可能性を秘めていることになる。ただし、その子供たちの内

側に隠されている才能を理解し、良い環境作りをする大人達

の存在があればこそである。

 坂本竜馬の姉、お留。エジソンの母、ナンシー。そして、レオ

ナルド・ダヴィンチの父、セル・ピエーロも然りである。

 この大人たちは子どもに対し、無理やりに知識を詰め込む

ことで人並みに育てようとしたのでも、他人に馬鹿にされない

ようにと教養を身に付けさせようとしたのでも無かった。

 子供の心を理解しようと努め、愛情を注ぎ、単なる教育では

なく、人間形成にこそ力を入れたのではないだろうか。

 現在、日本の小中学校や高校で、いじめや落ちこぼれ等

の、不登校や非行化、そして自殺の原因ともなるべき問題が

数多く持ち上がっている。しかし、これらの根底にあるものこ

そが真の問題ではないだろうか。

 人と違う行動をとれば、それを短所として捉え矯正に努める

教職者や親達がいる。

 クレヨンにだって色があるのだ。赤いクレヨンに白い色を出

させようとしても、そんなの無理に決まっているではないか。

 今、教育界に求められるべきものは、役にもたたない知識

を子供に詰込む『教育力』などではなく、子供の個性を理解

して、その才能を伸ばすことができる、真の『人間形成力』

であると思う。











教師たちの犯罪―若いいのちが壊されていく
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コンフリクト(葛藤)

2006/04/22 02:04
第二章では、『社会に対する疑問』てなことを述べながらも、基本的テーマとなる『忘却』よりも、全体的に、他者に左右される個人や集団が中心的な要素となって、様々な図書機関から掻き集めた数十冊の参考文献からの記事を、それこそ、片っ端から継ぎ足したような論を展開させた。

ようやく第二章を書き終えて、いよいよ結論部となる第三章に入ろうとしても、何も書けない日々が何週間も続き、あれよあれよという間に、いよいよ提出日の数日前となってしまった。

こうなれば最後の手段とばかりに、急遽、会社へ4日間の休暇届を出して、提出前の三日間で何とか仕上げてやろうという、いつもながらのいい加減で計画性の無い行動に出ていた。

PCのワード画面に向かい、いくら何かを書こうと思っても、何も書けない自分が情けなかったが、ふと、ある事に気付いて、ハッとした。

テーマ部、序論部、第一章、第二章と、今までの時間の中で書き上げてきたが、その全てが誰かの考えを引用して、それを自分勝手に解釈してアレンジしただけの、それこそ紛い物の文章でしかないことに。

しかし、いまさら書き直すわけにもいかず、残りを何とか仕上げてみることに全力を尽くすことにした。

自分の身の回りで起こった、どんな些細な出来事でも構わないからと、乏しい記憶を何度も何度も振り返りながら、そのわずかな記憶の糸口を切っ掛けとして文章を展開させ、三昼夜のあいだ一睡もせずに、どうにかこうにかで文面を仕上げ、いちおうの体裁を整えたのち、大学本部までの道を急ぎ、湾岸道路を一直線にと烈しく車を飛ばして、締め切り時間の三分前に担当窓口に提出した。

後から読み返すと、本当に支離滅裂で、実に恥ずかしくなるような文面だが、強烈な睡魔や激しい疲労と闘い、それこそ意識朦朧となりながらも、我ながら、よくぞ期日までに規定の文字数を書き上げたなと、その部分に関してだけは、自分で自分に敬服した。

情けない話だが、私が過去に、三昼夜一睡もしないで何かをしたなどという経験は、後にも先にも、新宿歌舞伎町のフリー雀荘で、仕事をサボって打ち続けた東風戦麻雀ぐらいしか記憶にない。

今更ながら、現金払いの中で、よくぞ財布が持ったもんだ。これはこれで、まったく違った意味において、自分で自分に感心している。それこそ、家内にばれたら、殺されてしまうかも知れないが。





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                  《第 三 章》

                 【結論に代えて】



 NHK第一放送の深夜番組である『ラジオ深夜便』の中の

ワールド・ネットワークというコーナーで最近、次のような実話

を伝えていた。

 第二次世界大戦中に、米軍機を40機以上も撃墜した日本

人の戦闘機乗りが最近アメリカで亡くなり、現地の人々がそ

れを心から哀悼しているそうだ。この戦争でアメリカの撃墜王

が撃ち落した戦闘機の数が、ちょうど40機だそうだから、世

界の撃墜王といっても決して過言とは言えないだろう。 

(以下の記述には、私の想像もいくらか加えてある)

 名前をサカイと言うこの人は、終戦後、間もなく渡米して、全

米を又に掛ける航空ショーのパイロットになった。持ち前の腕

の良さで大変な人気者になり、現地のパイロット仲間にも随

分と持てはやされていた。

 ある時、スティーブンスという名のアメリカ人と仕事で組ん

だ。彼も相当に腕の良いパイロットで、二人は息が合い、仕

事の後で一緒に食事をして色々な話をした。そのうちに、話

題が戦時中のことになった。

 スティーブンスは、自分の父親もパイロットで、とても尊敬し

ていると言った。しかし残念なことに戦闘中に撃ち落されて

帰らぬ人となり、母親と一緒に、一晩中なげき悲しんだとい

う。その日からは本当に口にするのも辛く苦しい日々を送っ

て来たそうだ。

 スティーブンスの父親が亡くなった時の話をしばらく静かに

傾聴していたサカイは、ようやく気が付いた。彼の父親が操縦

する戦闘機を撃墜したのは他の誰でもなく、それは、紛れもな

い自分自身なのだという残酷な現実を理解したのだ。言葉を

失ったサカイは、ただ呆然とスティーブンスを見つめていた。

 しばらくの沈黙が続いた後で、スティーブンスはサカイに、一

度、家の方に来てくれないかと頼んだ。サカイはそれを聞い

て、少し考えた後に、分かったという表情で、無言のまま深く

頷いた。

 そして、その日が来た。招待されているとはいっても、自分

はその家の、主人の父親を殺した人間なのだ。例えどんなに

罵倒をされたとしても、それは当然の事と甘んじて受ける気

持ちでいた。

 ドアをノックする手はジットリと汗ばんでいる。家の中から女

性の声が聞こえる。心臓の鼓動は耳元で半鐘の様に鳴響く。

ドアが開かれて訝しむような目つきの女性が睨む。

 やはり来るべきではなかったと少し後悔したサカイを、女性

は家の奥へと案内する。

 そこで待ち受けていたスティーブンスは、満面の笑みを称え

てサカイを出迎え、家族みんなに向かって紹介した。  
      
 誰もサカイに敵意を持たなかった。誰もサカイを恨まなかっ

た。誰もがサカイを歓迎してくれたのだ。

「何という人たちだ!」

 サカイは感激して目を潤ませたまま、そこに立ちすくんでい

るだけだった。

 その日から、サカイとこの家族の交流が始まった。将来は

空軍のパイロットを目指しているというスティーブンスの娘の

誕生日には、サカイが長い間、大切にしていた絹のマフラー

をプレゼントした。サカイ自身にも自慢の娘がいて、大学を卒

業したらすぐに米軍の将校と結婚をした。

 何年かたった後、スティーブンスの娘は夢をかなえ、女性と

いうハンディを乗り越えて見事に空軍のパイロットになった。

そして、軍用機に搭乗する際には必ず、サカイが彼女の誕生

日にプレゼントしたマフラーを身に付けているそうだ。サカイ

が、彼女の祖父の戦闘機を撃墜した時にも首に巻いていた

であろう絹のマフラーを。

 人は何故に忘却するのだろうか。この問いかけに対する一

つの答えがこの話の中にあるような気がする。このエピソード

を素直に理解できない人は、フロイトの防衛機制を引っ張り

出してきて、この家族は「反動形成」を働かせて敵意の感情を

抑圧することで、本質的な意識とは正反対の行動、つまり、

快くサカイを出迎えて受け入れたのだとか、或いは又、苦痛

に満ちている観念や出来事を「隔離」して、父親や、祖父を戦

争で殺した男のサカイではなく、尊敬するパイロット仲間で友

人のサカイだけを認知することで、友情を育んだのだとか言う

のかも知れない。そして、それこそが、もしかしたら真実なの

かも知れないが、それだけで人間の心理、或いは精神を解

釈するのは、私には、とても寂しい気がする。

 そうは言っても、どんなに強がって見たところで、所詮、人間

は弱い生き物である。

 認めたくない現実に、一生の間には数え切れないぐらいに

直面して、それに対処していかなければならない。それらの中

には、その人には耐えうることの出来ない、厳しく、辛く、悲し

い現実もあるだろう。そんな時でも、唯一、今にも壊れそうな

自分の心を守ってくれるのがフロイトのいう防衛機制であり、

ジャネが説く解離なのだろうか。

 リンダ・マイヤー・ウィリアムズの調査によると、アメリカの国

内で、十二歳未満で性的虐待を受けて、救急病院で治療した

経験のある女性、100人の内の、38人が、その出来事をま

ったく覚えていなかったそうだ。病院に記録が残っているの

に、そこに運ばれたことすら記憶していなかった。

 また、南カルフォルニア大学の心理学博士ジョン・ブライア

の調査では、子供のときに性的虐待を経験したという440人

の女性と30人の男性に質問したところ、このうちの、ほぼ三

分の二が、虐待をまったく覚えていない時期があったそうだ。

虐待と抑圧には密接な関係があり、この場合も「抑圧」、或い

は極端な「否認」という形の防衛機制が働いていたのだろう

か。

 社会的弱者である子供達は、大人が守らなければ自分で

自分の身体を守るすべを持っていない。だから、せめて心だ

けは自分自身で守ろうと虚しい抵抗をするのかも知れない。

 ベイ・エリアの社会学者ダイアナ・ラッセルはサンフランシス

コに住む930人の女性を調査して、その内の六人に一人

が、子供の時に家族の誰かと、望まない近親姦を経験し、

三人に一人が、親族以外の人間との、無理じいによる性行

為を経験していたと述べている。

 この子供達の何人かは、この辛い現実を意識の底に追い

やり、無意識の領域へ埋没させて、自我が崩壊しないように

と防衛機制を働かせたのだろう。自我の統合を保ち、心の安

定感を得るために。

 そして、別の何人かの子供は反対に、自我を崩壊させるこ

とによって、これは現実ではないんだ、こんなことは嘘なん

だ、本当の自分は全然違う所にいるんだと、ある種の催眠を

自らに施すことで病的な解離状態へと自分を誘ったのだろ

う。大人になって心身が強靭さを持つその日まで。

 では、大人になった、その時こそ彼らは本当に強くなれるの

か。どんな困難や逆境にもめげない自分が、そこに形成され

るのか。あるがままを受け入れて、あらゆることに対し自己一

致をさせ、己が内にある心の声に耳を傾け、前向きな自己暗

示を常に絶やさずに、今ここに生きている自分を確信する。

 しかし残念ながら、心に外傷を受けることで一度でも解離状

態に誘われた者は、たとえ何年たっても外傷を引きずり、何

度でも解離性障害を引き起こすと多くの専門医は指摘して

いる。

 本当にそうなのか。確かに一度でも解離性障害になった人

は、健忘、遁走、離人症、同一性障害と、次から次へと、様々

な症状を併発させ易くはなっているかも知れない。だが、解離

は元々、度重なる外傷体験に耐え切れなくなった子供、或い

は大人が、自己催眠を繰り返すことによって深い催眠状態に

入るようになり、トランス状態を迎えて、単一性、同一性、能

動性、限界性を崩して行くようになるのだから、逆に考えれば

良いのではなかろうか。つまり、催眠療法を応用することが解

決への糸口となるのである。

 催眠療法は「誘導された解離」と言われるくらい、重度の解

離と同じような症状が出てくる。

 忘却(名前も年令も忘れる)、年令退行(幼児、或いは前世

まで?)、人格転換(他人、動物、物体)、後催眠健忘(誘導中

の記憶が想起できない)、他にも共通するものは幾らでもあ

る。

離人症に似ている、深いトランスに入っている時の隠れた観

察者という感覚、等など。
 
 では、催眠療法と解離はどこが違うのか。それは、細かい

部分を除いたら一つしか見当たらない。覚醒暗示である。

 解離性障害にいたる過程で、無意識に自己催眠の訓練を

積んできているのだから、自律訓練法の中の覚醒暗示をマス

ターするのは、そんなに難しい事ではないと思う。彼らは、鬱

病患者とは違い、陰鬱な気分で楽しい経験を想起できなくな

っている訳ではない。反対に、多幸感や全能感のように、空

虚で薄っぺらではあるが、ある種の爽快感は感じることがで

きるのだから、それを覚醒暗示の方に振り向けることで目覚

めへの意識を高め、現実を認識できるように成るのではない

か。そしてこれを応用することで、洗脳やマインドコントロール

といった、強力で威圧的な長期にわたる教化に対しても、脱

洗脳になり得るのではないだろうか。

 抑圧された記憶を想起させるための条件には、強い知覚的

な刺激である、きっかけが必要といわれている。その時と同

じような状況、あるいは、それは夢であったり感覚であったり

する。つまりはきっかけが有れば、いつかは、ありありとした

記憶を想起させることができるのだ。  
                        
 解離の場合は果たしてどうなのだろうか。抑圧が記憶を埋

没させることだとすると、解離は記憶がどこかへと逃走して

しまうことだ。知識・感情・記憶を統合する能力を失い、心的

外傷の記憶が、通常の意識とは違う場所に行ってしまい、ほ

んのわずかな記憶の断片を残すのみで、後はすべてが失わ

れてしまう。けっきょく解離は、現実を認知する機能と、記銘・

保持・想起という記憶の三要素の内、記銘と保持の一部が

停止状態になったものなのだろう。

 傷だらけにされた娘を見ても、抱きしめることもせずに、そ

の娘に怪我を負わせた張本人と「ちゃんと話をして、研鑚し

たらいい」と娘を諭すヤマギシ会の父親。この人は現実に目

の前で起こっている事実を、認知する能力がほとんど働いて

いないのだ。或いは、既に重度の解離性健忘となり眼前に

存在するものが完全に見えなくなっているのかも知れない。

 セレンゲティ平原の雌ライオンにいたっては、目の前にい

る雄ライオンが僅か数日前に、己が愛し子たちを全員噛み

殺したという事実に対しての記銘はしたが、それは抑圧し

て、保持の段階で解離することにより、この雄ライオンの三

昼夜にも及ぶ交尾行動を受け容れたのだろうか。

 それならば、スティーブンスの娘が取った行動は、どう理解

できるのだろうか。幼い頃から父親に聞かされていた、おじ

いちゃんの自慢話。そのおじいちゃんを撃ち殺したジャップの

戦闘機。嘆き悲しむおばあちゃんのこと。他にも色々と聞か

された筈だ。何故ならば、彼女がパイロットに成りたかったの

は、おじいちゃんの仇が討ちたい、憎いジャップの戦闘機を

撃ち落してやりたいという気持ちを、無意識の領域に持った

からだ。そうでなければ、いくら父親がパイロットだからとい

え、女だてらに厳しい米軍のパイロットコースを選ぶとは到底

に考えられない。

 彼女はその時、いったい何歳だったのだろう。父親から

散々に聞かされてきた憎悪すべき男が、おじいちゃんの仇

が、ジャップが、サカイが、家を訪ねてきたのは。

 その男を心の底から憎んでいた筈の父親が、これ以上は

無いような笑顔で歓迎して自分たちに紹介したのだ。彼女

の心の内側では相当な戸惑いや葛藤が生じたのでは、な

いだろうか。

 誕生日に貰った白いシルクのスカーフ。戦争映画でゼロ戦

を操縦する日本兵が首に巻いているスカーフ。おじいちゃん

を撃ち殺した時にも、間違いなく首に巻いていた筈のスカー

フ。

 今、そのスカーフは、彼女にとって決して手放すことが出来

ない、何物にも代えがたい大切な物へと変わった。

 軍用機に搭乗する彼女を、その素肌の上から優しく包んで

守る、お守り以上のお守りとして。

 私は、彼女に関してはなにも考察することができない。どう

にか分析して見ようと思えば思うほど、何故か、涙が両目か

ら溢れ出て止まらなくなるからである。

 結局、忘却とは何なのだろうか、想起できるものが忘却であ

ると仮定するならば、やはり解離は、忘却とは言えないのか。

しいて言うならば記憶の拒絶とでも呼ぶべきものなのか。

 だからといって、抑圧は忘却なのかという疑問にも答えを出

すことが出来ない。何故ならば、抑圧は無意識が事柄を記憶

して、それを奥ふかくに仕舞い込んでいる状態だからだ。

 色々と考えあぐねても何も答えが見つからない。

 ただひとつ私が感じたことは、たとえばそれが、どのように

理不尽なことであっても、それを受け入れることで、種を未来

永劫にかけて存続させようとするなにかの意図が、ここに働

いているとしか言いようがない不可思議さだけである。



                 了
                                                                                                                                      
                   

 







〔文庫〕生命の暗号
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狂信

2006/04/14 04:24
どんなに異質な世界で生きようとも、どんな種類の人間であろうとも、また、どれほどに自分を見失っていようとも、人間が人間として生きている限りは、その魂のうちなる意識の中に、その人なりに強く信じられるもの、そう、余程の事が無い限りは絶対的に信じ切っている、その人なりの何かしら強い意思を、必ずといってよいほどに心の内側に携えている。

それが親であったり、恋人であったり、はたまた、お金であったりもする。

宇宙には絶対といえるものなど何ひとつ無いことぐらい、ある程度の良識を持っている人間なら誰でも感じている事だろう。

『ALWAYS 三丁目の夕日』でもクライマックスに使われていて、昔のテレビドラマで親子ものの定番とも言える台詞に『子供のことを大切に思わない親など、世界中のどこを探してもいない』などというものがあるが、実際のところ、毎年、全世界で人身売買されている子供達の数は、数十万人とも、あるいは数百万人とも言われている。

出生届を出されない子供に至っては、毎年5千万人以上にも及ぶという、国連児童基金(ユニセフ)2006年版「世界子供白書」での発表報告もあるくらいだ。

殆んどの場合、その子供達が心の底から絶対的に信頼しきっている、彼ら彼女らの実の親達の手で売却されているのである。

ある程度、経済的に安定している現在の日本では、こうした例は非常に少なくなってはいるが、その分、恋人や夫の手によって風俗店やソープランドに勤めさせられたという女性の数は、ある情報筋の調査によると、売春産業全体総数の26%以上にも及んでいるとの事。

なんと、風俗嬢の四分の一をも超える数の女性たちは、彼女らが心の底から愛しんだ恋人や、信頼していた夫の為に、好きでもない売春行為の道へと走らされたのだ。

信じられるのはお金だけなどという人たちは、ドイツ(1兆16億倍)やハンガリー(1垓3000京倍)のインフレを知らないのだろうか? 国家が安定していてこそ、はじめて通貨に信頼が置けるのだ。

現在、日本国がかかえている負債は800兆円を突破した由で、安定しているかに見える日本経済に於いても、いつ破綻がきてもおかしくないほどに不安定な状態というのが現状なのだ。

そう、悲しい事実ではあるが、私たちが存在しているこの世界には、絶対的に信じられるものなど何ひとつとして存在しえない、というのが本当のところなのだ。

それなのに、人は何故、どうあっても絶対に信じてはならないものを、逆に、全身全霊を懸けてまで信じ切ってしまうことがあるのだろうか。

何故にジョン・レノンは、強大なアメリカ国家の権力的な意思に逆らい、その大切な生命を懸けてまでも『イマージン』を歌い続けたのか? 

5発もの弾丸で、なによりも大切な彼の命を、この世界から奪い去ったのは、本当にマーク・チャップマンという、熱狂的なクリスチャンである、この学生一人の意思によるものなのか?

以下が、第二章の最終節です。





「公にされた事実、あるいは新しい観察や意見が、私の全体

的な結論に反する場合、私はすぐに、できるだけそのままの

形でメモをとる事にしている。何故ならば、私は、その様な事

実や意見は、私にとって有利な事実や意見より、遥かに忘れ

易い事を経験から学んでいたからである」

                     《チャールズ・ダーウィン》






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3)*カルトの民



 以前から私は、宗教は心の糧であり、人生に指針を与え、と

かく邪になりやすい人の心を清浄な方向に導き、先祖を供養

して、子孫繁栄へと向かわせるもの。それが、どんな宗教にも

共通の理念だと思っていた。 

 ところが、この理念とは完全に異なったところにも宗教は存

在していた。

 1960年代に始まったアメリカの新興宗教ブームは、実に、

多くの惨劇を捲き起こした。代表的なものをいくつか挙げてみ

る。

 1969年、チャールズ・マンソンを教祖とする集団、女優シャ

ロン・テート(当時、妊娠していて身重であった)を含む八人を

殺害。

 1978年11月、ジム・ジョーンズを教祖とする『人民寺院』

ガイアナで九百十三人の集団自殺(実際には、ほとんどが幹

部たちの手による殺害)。

 1993年4月、デヴィッド・コレシュを教祖とする『ブランチ・デ

ヴィディアン』テキサス州ウェイコーでFBIと銃撃戦。四人のF

BI捜査員を射殺、七十二人が集団自決。

 1994年10月、教祖ルック・ジュレ、黒幕ジョゼフ・ディマン

ブロの『太陽寺院』カナダで親子三人を殺害。スイスで四十八

人の集団自決。

 日本でも、1970年頃から『統一教会』を初めとした、多くの

新興宗教が蜂出し『愛の家族』、『イエスの箱舟』、『エホバの

証人(ものみの塔)』、『真理(みち)の友教会』、『オウム真理教

』、『幸福の科学』、『法の華三法行』等が、現在に至るまでの

間に数多くの問題を惹き起こした。

 その中でも『オウム真理教』は「イニシエーション」や「シャク

ティパット」、また「カルマ」などという聞き慣れない言葉をはや

らせた挙句に、1995年3月20日、地下鉄内で毒ガスのサリ

ンを撒布して、駅員を含む乗客たち十二人もの、罪無き人々

の命を奪った。

 この事件は驚きと恐怖で日本中を震撼とさせた。

 この時ほど私は、全ての宗教の内なる本質に隠された、潜

在的な怖さを感じたことはなかった。海の向こうアメリカで例え

何百人の犠牲者が出たとしても、日本人には決して理解する

ことが出来ない種類の、全く異質な人間達が起こした、奇怪

な出来事ぐらいにしか思っていなかった。

 ところが、その考え方は大きな間違いである、ということに気

づかされたのだ。ごく普通の学生が、ごく普通の主婦が、また

医者が、そして弁護士が、この新興宗教の教祖である麻原彰

晃に魅入られたように狂気とも思える行動へと突っ走っていっ

たのだ。

 麻原を教祖と仰ぐ信者達の眼は、皆、一様に虚ろで、どこか

不気味な雰囲気を漂わせている。彼らの口から出る言葉は、

尊師だの、最終解脱だの、ステージだのと、一般的な日本人

がもつ社会通念からは遠くかけ離れた意識構造の中から発

せられていた。

 私は初めて、洗脳とか、マインドコントロールの意味を実感

した。

 洗脳(brain washing)という言葉は、もともと1950年代に起

こった朝鮮戦争の時に、捕虜となったアメリカ兵に施された、

中国共産主義の思想改造のやり方を意味する中国語の『洗

脳(SHINAO)』(古い考えを洗いとり、新しい思想を受容れる

ようにする事)をそのまま使ったもので、マインドコントロール

(柔らかな洗脳)も、これの一種である。

 洗脳は、三つの段階で出来ており、解凍・変革・再凍結と

いうモデルで構成される。

『解凍』は、精神的、心理的な矛盾や葛藤を与えて、自我を崩

壊させること。『変革』は、解凍した自我に新しい価値観や思想

を注ぎ込むこと。また『再凍結』は、あたかも自分の意志で決

定し、行動しているように思わせて、それを強化する過程のこ

とである。 
 
 新興宗教が洗脳を利用するときには、概ね次の八つの要素

で構成する。

(1)環境コントロール=外部とのコミュニケーションや情報を

管理。

(2)聖域を作り出す科学=失われし真理の秘密を握ったとい

う信念。

(3)誘導的な言葉=思考を停止状態に導く、教団内で通用す

る言葉。

(4)人間を超越した教義=経験や思考を教義に添うように要

求する。

(5)神秘的な操作=計画的に、自然発生的、霊的な経験を演

出する。

(6)浄化への要求=他は全て邪悪とみなし教団の教えを絶

対とする。

(7)告白熱=内面的過ちを数え上げ、認めさせ、結果的に告

白させる。

(8)存在の排除=教団外の人々を人間ではないとみなし、存

在しうる権利が誰にあるかは全て教団が決めると主張する。 

                       《ロバート・リフトン》 

 この洗脳の技術はオウムだけではなく、ほとんどの新興宗

教で色々に形を変えて使われている。そして、洗脳またはマ

インドコントロールを体験したものは、否応なく精神に昂揚を

きたし、人によって強弱の差はあるが、必ずと言っても、よい

位に心因的な障害を受ける。

 優しく親切な態度を装う新興宗教の勧誘者にほだされて、研

究会というものに顔を出して見る。すると、思いの外そこの人

たちに歓迎される。本気でやってみないかと励まされて、合宿

に参加する。

 そこで待ち受けているのが、この洗脳技術を駆使したもの

で、気づかぬ内に精神に解離性障害の徴候が表れ、怒り、

笑い、泣く、いつしかトランス状態に入り多幸感に包まれる。

気がつくと、感受性が豊かな人ほど、その宗教こそが唯一

無二絶対なものに思えてくる。

 反政府的な教義(dogma)を唱える教祖の言葉だけを真実と

思い込み、家族や社会との繋がりは全て否定して、それまで

の関係を忘却の彼方へと消し去ってしまう。

 大概の入信者は、このようなパターンに拠って、その人の全

人格を変容させられる。

 オウム真理教は1987年に、それまでの「オウム神仙の会」

を改名することで新興宗教としての形を創り上げ、洗脳教育

を施し始めたというが、驚いたことに、これよりも三十年前の

1956年の日本で既に洗脳を使った組織作りは起こってい

た。

 無所有一体を理念に、ヤマギシズム社会を実現せんとする

『ヤマギシ会』と呼ばれる集団がそれである。

(以下は米本和広氏の文献資料に拠る)

 1995年には、全国に三十七ヵ所と、海外に七ヵ所の集団

農場を保有し、農薬づけの野菜を無農薬・有機農法と称し、

抗生物質や添加物使用の肉類を無添加食品として、二百五

十台の車と三十ヵ所のデパート・スーパーで販売する日本最

大の農業集団で、その総売上は二百五十億円を記録した。

 この組織は元々、山岸巳代蔵という人物が、十九歳の時に

真理・理想を追い求めて悩んだ結果『鶏舎小屋の鶏の世界』

にこそ理想社会が存在すると見出し、それを人間社会で実践

する為に、1953年、巳代蔵が五十一歳の時に結成した団体

組織である。

 宗教ではないと否定する「全人幸福社会」を目指す革命団体

であり、教祖の存在がないことを(巳代蔵は山岸さんと呼ばれ

て皆に親しまれていた)除けば、色々と問題を惹き起こしてい

る多くの新興宗教と何ら変わるところは見当たらない。

「特講」(特別講習研鑚会)と称する七泊八日の合宿では、

「我執抜き」による『解凍』を受けてヤマギシの会員となる。

しばらく経った後に、二週間の研鑚学校で「無我執」「自他

一体」を合言葉に『変革』を施された会員は、その保有する

財産を、ヤマギシズム生活実顕地調正機関に全て差し出し

「お金の要らない・仲良い楽しい村」である農場の住民となる。

 そこでの研鑚会(職場研・生活研・基本研・出発研・中間研・

整理研など)で、「無感無識界」(何も感じず、何も意識しない

世界)を最終的な目標として、農場の住民となった人々は『

再凍結』される。

 農場での生活は、皆が平等で命令も服従もない自由な世界

である筈が、一日に二度の食事で、朝の六時から、夕方の六

時過ぎまでの時間、何の報酬も無しに働く。元旦以外には休

みを取れず、一年の三百六十四日が労働日であり、年に四

千時間近くの長時間労働となる。

 循環農法・無農薬・無添加を、売り物にしている農場なの

に、合成洗剤を多量に使用しており、近隣の農家から苦情が

来るほどの大量の農薬も散布している。また、養鶏場の裏に

は何百本もの抗生物質の空き瓶が捨てられていた。

 農場では自殺や事故などもやたらと多く、十七年間の間に、

自殺者五人(中学生一人を含む)と事故死十二人(子供十人を

含む)を出している。また、集団食中毒も何度か起こし、今ま

でに五百人以上の食中毒患者を出した。

 それでも、ヤマギシの住民は何も疑問に感じず、「私たちは

自然と共生して、地球と仲良しです」などと言って、目の前で

起こっている事実を、まるで意に介していないような発言をす

る。

 ある人は、いびつに歪んだ屋根の、汚らしい豚小屋が、もの

凄く綺麗なものに感じ、別の人は、汲み取り式の不潔なトイレ

が、高級ホテルのとても清潔なトイレに見えるという。彼らは

現実に目の前に存在するものが全く視野に入らないのだ。

 大人はまだいい、本当に可哀そうなのは、親のエゴに振回さ

れて、この農場へやって来た子供達である。

 両親とは隔絶された施設に住まわされた子供達は、毎朝五

時半に起こされて、家畜舎の糞だしや、農作業に従事させら

れる。朝食も食べずに学校へ行き、帰宅したら直ぐに農作業

を数時間、自由になるのは一日に一時間も無い。重労働の上

に二度の食事では、とてもお腹がもたない。食べ盛りの子供

達は空腹に耐えかねて、畑の大根、道に落ちている菓子の

かけら、ゴミ箱の飲みかけジュース、道端の雑草、ティシュペ

ーパーまでも、口に入るものは何でも入れる。農場の大人に

訊くと「子供って、好奇心がすごく強いから、どんな味がする

のか試しているのだろう」と理解に苦しむような返答が戻って

くる。

 心も荒んでくるから、いじめも多い。下級生の女の子が上級

生の男の子に、石をぶつけられ、噛み付かれ、蹴飛ばされて

全身に多数の痣を作る。いじめられている女の子の父親は

「石をぶつけたり、噛んだりするのは、その子の生き方に関わ

ることだから、その子ときちんと話をして研鑚しなさい」と子供

を諭す。どうやら、この農場の大人達は記憶に関してだけで

はなく、感情それ自体までをも忘却してしまったようだ。

 ある子供は親しい友達に、このように話す。

「あいつらは親なんかじゃない。嫌がる俺たちを、無理やりに

こんな所に入れやがったヤマギシ側のおじさんと、おばさん

なんだ」

 そして、大人が傍に居ないかを確かめるように、こう続け

る。

『俺たちは、親から捨てられたんだ! 』

 今日も何処かで

「ヤマギシの生産物わぁ、ホンモノの美味しさを求めてぇ、仲

良い楽しい村で村人自身が作ったぁ、全て手作りによるぅ、

全品自家生産ですぅ」という、のどかな声がヤマギシ会の販

売車のスピーカーから住宅街にと流れてくる。

 ヤマギシの会員である販売員たちは、まったく何の疑問も

持たずに『ヤマギシの食品は無農薬・無添加ですっ!! 』

と大きな声を張上げて、大量の農薬と添加物が使用されて

いる、この生鮮食品の販売に、さぞや精を出していることだ

ろう。

 洗脳による純粋な解離性障害者には、どんなに現実を教え

たとしても、それは、全く意味を成さず、本人が、自分自身で

気づかなければ、いつまでも覚醒することは無いそうである。



*cult:(宗教的)崇拝。〔社〕カルト《伝統的組織の教団に対

し、組織性の薄い特殊な少数者の集団》 [同]  


・参考文献:米本和広『洗脳の楽園/ヤマギシ会という悲劇』 
        食品の安全を考える会編『ヤマギシ食品のウソ』  
                                他多数











目からウロコの脳科学―心と脳はここまで分かった!
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